今回は大嫌いな姑のことはおいといて(笑)
先日のことを書きます。
本当に、本当に、危なかった。


今、私は8ヶ月の妊婦で、2歳の娘がいます。


最初の子で、基準がわからなかったのですが、周りからは、成長が早いね、と言われることも多く、女の子だからか、お喋りもとっても上手。
1歳半で、すでに、おかあしゃん、と呼べるようになっていて、買い物に行って話しかけられると、必ず3歳ぐらい?と言われるほど、しっかりと喋ります。


性格は超活発(笑)
擦り傷切り傷、アザ。
毎日増えていく時期もあって、女の子なのに大丈夫かな?と心配するほどでした。
体を動かすことがほんとに大好きで、すぐ外に行きたがります。
なので、晴れてる日は、なるべく家の周りを散歩したり、三輪車でお出かけしたりしています。


4ヶ月で寝返りしてから歩き出すまで、あっという間でした。
1歳すぎでは、段差のある階段も手もつかず昇り降りしていて、2歳になった今でも、周りの子と比べてみても、かなりしっかりしてるし、足もめちゃくちゃ速くて、子守りの大人が追いつかないことも、しばしば。


本当に、よく動き、よく喋り、よく笑います。
歌も上手に歌ってくれます。
意思疎通ができるようになって、会話もできるようになってきました。
娘がいて、大変だと思うことも増えましたが、我が家の生活の中心で、娘がいない生活は、もう考えられません。



そんな娘と、先日スーパーに買い物に行った時のことです。
いつもはだましだまし、娘をカートに乗せるのですが、その日は入口で子ども用の小さなカゴを見つけ、それを持って歩く!というので、カートには乗せられませんでした。


私も、買う物が少ない予定だったので、パッと行ってパッと帰るつもりで、まぁいいか!急ぐ用事もないし、娘の気が済むようにしようと思い、娘の手を引いて買い物をしていました。


ところが、やっぱり、買う物を決めて行っても、結局買ってしまうんですねー。
妊婦だし、どうせ来たなら買っておこうと、ついつい買い込んでしまったのがいけなかった。


結局、買い物袋2つをカートに乗せ、カートを押しながら、娘の手を引いて、駐車場まで歩いて行くことに。


車について、カートを停め、先に娘をチャイルドシートに乗せるかな、買い物袋はどこに乗せようか、と考えていた一瞬の出来事でした。


娘があっという間に私の手を離して、走り出してしまったのです。


私はすぐに追いかけて
『だめー!止まってー!』
と叫んだのですが、娘は追いかけっこしていると思ったのか、笑いながら、振り返りもせず、そのまま走って行き…


すると横から車が走ってくるのが見えました。
もうすぐ近くまで来ていました。
もちろん運転手には死角になって、娘は見えていません。


私は真っ青になって、娘が引かれる!
と思い、必死で娘を捕まえようとしたその瞬間


ズザザザザッ


私はエビゾリのような状態で、駐車場に倒れてしまいました。


娘は、すぐ横で私が派手に倒れたので、びっくりして、やっと止まってくれました。
とうの車の運転手はというと、手前の駐車場に、運良く駐車してくれたようで、危機一髪、娘に怪我はありませんでした。


私はなんとか起き上がって、娘を車に乗せながら、ひどく娘を叱りました。
『走っちゃだめでしょ!車が来てたんだよ!おかあさん、倒れてお腹打っちゃったでしょう!おかあさんお腹痛かったよ!赤ちゃんが死んだらどうするの!』


娘は、珍しく、怒られているのに、うわーんと泣かず、まるで泣くのを堪えているようでした。
よくわからないけど、おかあさんが倒れて、悪いことしたなっていうのが、伝わってきたような気がしました。


それでも、車に乗ってから、びっくりしたのやら、身体が痛いのやら、お腹を打ってしまったことへの不安やら、思うように動けなかった自分へのはがゆさやらで、私は駐車場に車を停めたまま、大泣きしてしまいました。


泣きながら、車を運転して帰りました。


それは昼前のことだったのですが、お昼ご飯を食べて、しばらく様子をみていました。
出血もないし、赤ちゃんも動いているようだったので、ひとまず安心。


ただ、やっぱりお腹が痛い。
お腹が張るような感じもする。
落ち着いていたはずのつわりも出てきて、心配になって、病院に連絡すると、すぐ受診してくださいとのことだったので、旦那に連絡して、乗せていってもらうことに。


病院に着いて、すぐモニターをとり、赤ちゃんの心音と、お腹の張り具合を検査しました。
異常はみられず、よかったーと思っていましたが、私の身体の状態があまりよくないみたいでした。
血圧もいつもより低く、呼吸が安定していないと言われました。息苦しいのはそのせいか。


車椅子で別室に移され、看護師さん助産師さん3人ぐらいでバタバタと処置をしてもらい、少し呼吸が落ち着いたところで、先生がエコーをとると、倒れてから時間も経っているし、今赤ちゃん元気で、胎盤も異常なさそうだから、大丈夫でしょう、とのことでした。
ただ、やはりお腹を打っているので、少し休んでから帰ってくださいとのことでした。


それから、点滴をしてもらい、家に帰ったのは夜の8時前でした。


家でゆっくり休んでいると、ジンジンと体が痛むので、どこを打ったのか、よく見てみると、両手は赤く擦りむけて、内出血みたいになっていました。
また、何日か前の寒い夜中、血流不足からか、妊婦によくみられる症状の、こむら返りを起こしていて、右足が肉離れのようになっていたことも思い出しました。


重荷の体に加えて、そのせいで、右足をかばうように足がもつれてしまったのか、右側を主に打ち付けていたようで、右肘と右膝にも擦り傷と内出血、右の骨盤にもおんなじような傷があり、エビゾリになったので、もちろん腰にも痛みがきていました。
他にも色んな箇所に痛みが。


私も、娘とおんなじで、体を動かすことが大好きで、昔からスポーツをしていた私は、体力、スタミナ、瞬発力にはけっこう自信がありました。


ですが、やっぱり、妊婦なんだな、と思い知らされたというか。
うまく動けなかったこと、体が自由にならなかったことが、なぜかその時とてもショックで、こんなにも動けないのか、と怪我をしたところを見ながら、悲しくなってきて、また涙が出てきました。


その日は、痛む体につわりも重なって、お風呂にも入ることができませんでした。
旦那に湿布を貼ってもらって、そのまま休むことに。



次の日。


やはり、なかなか、いつものように起き上がることが出来ませんでした。
が、いつ姑が来て、何を言われるかわからないので、鞭を打たれたような体にまた鞭を打って、起き上がり、ご飯を作り、食べました。
私がやらないと、誰も家の事をしてくれません。
当たり前です。


2日目の方が、痛みがそこかしこにきてて、洗濯物を干すのも苦痛でしたが、なんとか干し終わり、ふぅーっと一息。
庭を元気に駆け回る娘をみて、私はハッとしました。



この子が無事でよかった。



あの時、もし走ってきた車が手前の駐車場で止まらず、そのまま娘が引かれていたかもしれないと思うと、ゾッとしました。
この笑顔も、この走る姿も、もうここになかったかもしれないと思ったら、私は思わず娘を抱きしめて
『ほんとに無事でよかった』
そう言いました。


と同時に、とても反省しました。
なぜあの時、真っ先に娘に、この言葉を言ってあげられなかったんだろう。



私は、自分の打ち付けた体のことと、お腹の赤ちゃんのことばかり考えて、娘のことを想ってやれませんでした。
自分のことしか考えられていなかった。
冷静になった今、あの時、娘は、どれだけ寂しかったことだろうと、後悔しました。


もちろん娘は、何が起こったかわかっていないでしょう。
車が来ていたこともわかっていないし、そもそも、なぜあんなに怒られたのか、なぜ走ったらいけなかったのかも、きっとわかってはいません。



ただ、あの時、自分が走っていて、自分のことを捕まえようとしたおかあさんが、すぐ近くで倒れて、痛い思いをした、ということは、わかったかもしれません。
娘もびっくりしていましたから。


それなのに、あなたのせいでおかあさんは怪我をしたよ、体が痛かったよ、というおかあさん。
あなたのせいでお腹の赤ちゃんに何かあったらどうするの、とお腹の赤ちゃんのことだけを心配するおかあさん。
は、娘の目にどう写ったのでしょう。


私は娘をひどく怒ったことを、とても後悔しました。


私はあの時、どんなに自分の体が痛かったにしろ、お腹の赤ちゃんが心配だったにせよ、なによりも、目の前の娘が無事でよかった、とそう思うべきでした。
怒ることよりも、まずそれを先に娘に伝えるべきでした。




小さい子が不幸にも、事故に巻き込まれ、命を落とすニュースを見るたび、聞くたびに、とても胸が痛みます。
背景に、なにがあったのか、どのような経緯があったのかなど、ニュースは詳しくは伝えてくれません。
ただ、親が目を離した隙に、とか、よく見ていなかった、とか、そう伝えられるだけです。
母親は8ヶ月の妊婦だったとか、足を怪我していた、とか、そんなの、情報として入ってきませんよね。


ニュースは、親が悪いような伝え方をしますが、それは間違ってはいないんです。親が悪いんです。
走ってはダメと言っても、まだ2歳の子どもです。
何がよくて、何がいけないのか、周りの大人が言って初めて、なんとなく、わかるかな、わかってくれるといいな、という年齢です。
確かに、この頃の子どもに、なにかあったときは、やっぱり親の責任になります。
まだ自分じゃわからないんですから。



でも
誰も、お腹を痛めて産んだ子どもを、失いたくて失うわけじゃない。
子どもは、子どもだから、まさかという行動をします。それが子どもなんです。
わかってるけど、親だって注意してても、十分じゃないときもあるんです。
心がけてても、うまくいかないときもあるんです。


かけがえのない我が子が、目の前で…と考えただけで、ほんとに涙が出てきます。


それだけでも心が壊れそうなのに、それに加えて周りから責任を問われて、責められるのでは、と思うと、同じ親の立場として、いたたまれない気持ちになります。


ただ、それは誰しもに起こりうる、身近なことであって、私がその立場になっていたかもしれないのです。
それは今日かもしれないし、明日かもしれない。


私は寝る時にいつも、添い寝をしながら
『生まれてきてくれて、ありがとうねぇ』
と娘に言います。
すると娘は嬉しそうに
『うんっ!』と答えます。



私は、姑は大嫌いですが、命の大切さ、尊さぐらいは、わかっているつもりです。



みなさんも、少なからず、私のようにひやっとしたことがきっとあると思います。
日常の生活は、当たり前のようで、当たり前ではないんですね。


娘の笑顔を見ながら、今日も改めて、無事でいてくれてありがとう、と娘に心から語りかける日々です。


長々とお読みいただき、ありがとうございました。