雨の日が続くので、本を購入しました。

 

バカ老人たちよ!

【勢古浩爾(せこ・こうじ)著。2024年3月30日発行。夕日書房。1,100円+税】

  本の紹介から。

  「年寄りがいたるところに進出している。人生100年時代、楽しまなければ損、とばかりに傍若無人な立ち居ふるまいが目に余る昨今である。ひとのバカ見てわがバカ直そう。殷鑑(いんかん)遠からず。」(本から)

殷鑑遠からず:自分のいましめとするような失敗の前例は、身近なところにあるものだというたとえ。

  「”人生100年時代”といわれて久しい。実際、高齢化が進み、寿命も伸びている。団塊の世代といわれる人たちも後期高齢者となり、ますます意気軒昂である。一頃コロナ禍で鳴りを潜めていた老人らが、待ってましたとばかりに、我が物顔で醜態を晒すようになった。かつての老人は、下の世代から一目置かれる泰然自若とした立派な精神と態度の持ち主が多かった(ように思え)。ところが昨今の老人はどうだろう? 日本も世界もバカばかりではないだろうか? 傍若無人なバカ老人らのふるまいを見て、同じ老齢の自分の振りを直したいーそんな想いで綴られた、年配者向けのコンパクトな一冊。」(Amazonより)

 

  同じ著者の本は、これで6冊めになります。同じ様な事の繰り返しですが、「定年後のリアル」(草思社文庫)と「定年バカ」(SB新書)は、おススメです。

※「定年バカ」は、ブログ 2017年12月10日「定年バカ」(テーマ別:書評)を参照にしてください。

※直近の著者の本は、ブログ 2024年1月8日「自分がおじいさんになるということ」(テーマ別:書評)を参照にしてください。この書評の中で「定年後のリアル」にも触れています。この著書の中で、著者の言いたいことはすべて書かれています。

 

  読んでみての感想は、同じ事を言ってるのは変わりないですが、「面白かった」と「老人の愚痴ばかりでつまらなかった」の二極に分かれると思います。私は前者。愚痴とは言え、共感することが多かったです。これも老人の意見ですが・・・。

  印象に残った文章を、(ランダムに)抜粋して紹介します。

 

  先ずは、バカ老人の最高峰(?)として挙げられているのが、黒岩祐治神奈川県知事。不倫騒動と猥褻メールで有名になった人です(p44)。神奈川県民は、このことをすっかり忘れているようです。権力を握ってしまうとこうなるのか? 最近の兵庫県知事(パワハラとおねだり体質で告発された)、秋田県知事(”この町は貧乏”発言、愛媛県の郷土料理”じゃこ天”を貧乏くさいと発言)などもその一例でしょう。

 

  「老害の人」(内館牧子著)の主人公「戸山福太郎」の言葉を借りて・・・。

  「いいか、世のジジババは、みんな自分の老後ばっか考えてやがる。だから趣味だカルチャーだしかねンだよ。あげく世の中が『年齢は関係ない』だの『何かを始めようと思った時が一番若い』だの、恥ずかし気もなくきいた風な口叩きやがる。そのくせ、ハナっから老人は頭数には入れてねえ」(p135) (これは最近の「BS NHK」で、ドラマとして放送されました)

 

  「これが世界の三大バカ老人だーロシアのプーチン大統領(71)、中国の習近平国家主席(70)、ミャンマーの軍総司令官ミン・アウン・フライン(67)」(p139) 「バカの特徴の一つは、世間にはとっくにばれているのに、自分がバカだと思っていないことである。だから無茶苦茶をやってもまったく平気なのだ」(p139)「この三老人は利権でつながり、金と暴力による後進的統治でつながっている同じ穴のムジナである」(p141) これに、アメリカ合衆国の元大統領、ドナルド・ジョン・トランプを入れたらどうか?

 

  「いまや田原総一朗は老害以外のなにものでもない。しかし、こんな老人ひとり、テレビ朝日(朝まで生テレビ!)は辞めさせることができないのだ」(p146)

 

  「これらの途方もないバカ行為に比べれば、近所の世間のバカはかわいいものだ。 しかしうれしいことに、他方にはまだ膨大なまっとうな世界がある。 数百円で世界のどこにも送られる郵便、100円やるから作ってみろといわれても絶対に作れないさまざまな100円均一商品、命を懸けた職人の技量と質の高い製品、安い価格でうまい料理を提供する企業。 ようするに人間世界の上澄みの表面を虚業が覆い、君臨し、その下の膨大な世界を堅実な実業が支えているのである。 だから、バカばっかしが威張り、世界を支配しているような顔をしていても、健全な実業の世界があるから、かろうじて世界はまだ正気を保っていられるのだ」(p158)

 

  「わたしは、オリンピックや世界大会が好きだが、陸上競技のメダリストが馬鹿の一つ覚えのように、国旗を背中に背負うのが好きでない。 オリンピック種目に”ブレイキン””eスポーツ””スケートボード””パルクール”などを入れるバカ。ただの遊びではないか」(p164) これには、私も同感!

  「もう人生の幸せは食にしかない、というように、なんてこともない食べ物に何時間も行列に並ぶ人がバカである。朝5時に起き、何時間も車を飛ばしてやって来るのだ」(p165)

 

  「老後なんてどうでもいい。 生きがいは? とか、趣味は? 人付き合いは? といってもしようがない。勝手にすればいいのである。いつぼけるか、いつ体を壊すか、わからんじゃないか、などといいだしたらきりがないのだ」(p181)

 

  「新聞、テレビ、ネット、週刊誌は、”報道”だ”取材だ”と生意気なことをいって、日々ゴミみたいなニュースを量産している。 われわれはそれを当たり前のこととして受け取るが、こんなニュースはいらないのである。これが”報道”という美名のもと、まともな”仕事”とみなされているのである。それどころか、特権的な仕事とさえみなされている」(p188)

 

  「人間は見すぎである。考えすぎである。買いすぎである。食べすぎである。 人は自分で意志してそうしている、と思っている。だがじつは、見せられ、考えさせられ、買わされ、食べさせられている」(p196)

 

  「あとがき」の中で・・・。

  「人間の歴史など、ひょっとすると本当はつまらないものではないのか。歴史を作る、歴史に生きると、人類はむきになってきたが、この世には歴史をものともせずに生きる、という生き方もあるのかもしれない」(p204)

  「ITだけが進化し、人間は退化している。 歴史とは無関係に、可能な限り作為なく、よく生き、よく死ねば、それでいいと思う。それしかできないのではなく、それがいいのだ」(p205)