自分がおじいさんになるということ

【勢古浩爾(せこ・こうじ)著。2023年12月8日発行。草思社文庫。900円+税】

 (本書は2021年に刊行された著作を加筆・修正して文庫化したものです)

   勢古浩爾さんの本は、これで5冊めになります。「定年後のリアル」「定年後7年目のリアル」「さらなる定年後のリアル」「定年バカ」。最初の本は、著者が62歳(2009年)の時です。(著者は、1947年生まれ)

※ブログ2017年12月10日「定年バカ」(テーマ別:書評)を参照にしてください。

 

  本の紹介から。

  「70代はまったく異次元の世界だった!? 本書は、老いることへの不安を抱えている多くの人たちに向け、74歳老後まっさかりの著者が、意外にも幸福感に満ち溢れた等身大の”おじいさんの日常”をユーモラスに綴ったものである。”70歳以降は、自転車操業で、そのつど活力を作り出す必要がある”とし、そのために編み出されたさまざまな”愉しみ”を紹介する。世の中は相変わらず、老後不安を煽る情報で溢れ、歳をとることのネガティブな面ばかりが強調されるが、本書を読めば、そのモヤモヤが晴れること間違いない。今から老後が待ち遠しくなる一冊。」

 

  本の紹介は、少し大げさだと思います。言っていることの基本は、「定年後のリアル」以降、ほぼ同じです。一貫性があると言えばそれまでですが、手を変え品を変えての本であることは間違いないと思います。(基本は、後述する「定年後のリアル」を参照にしてください。)

  著者は2018年10月に脳梗塞に見舞われたそうで、「毎日一回、降下剤と血液がサラサラになる薬合計三錠を服用している。生きてるかぎり、飲みつづける。」(”歳をとって病気になると、生きること自体が仕事になる”より) これは私と同じです。

  印象に残った(共感できる)文章を幾つか上げさせていただきます。

 

第1章 「生きているだけで楽しい」という老年

  「手を動かすことができ、歩くことができ、食べることができることが”こんなにも嬉しい”、つまり”生きてるだけで充分”ということはありうるのだ。」(p27)

  「”生きているだけで楽しい”という意識は、あくまでも死の側から見たときの(「末期の目」から見たときの)、生の実感である。」(p46)

 

  「第2章  それでもやはり健康一番、お金は二番」「第3章 ワクワク自転車、ウキウキ歩き」「第4章 また ときめきの奈良へ ひとり旅」は省略。著者の日常生活が書かれていて参考になります。

 

 

第5章 映画と写真と絵画と

  絵画について。「抽象画や現代美術はいけない。それ以外の絵画ならとりあえず見る。ミロやピカソの抽象画など、美術評論家がなんといおうと、またバカみたいな巨額の値がつこうと、わたしにはつまらない。それらの絵をわかったふうに装う義理もなければ、感心した振りをする必要性もない。」(p178)

 

第6章 喫茶店で音楽を聴きながら外を見る

  「若い人たちはいまの音楽のどこがいいのか。ランキング上位に入っている曲を聞いても(ほんのちょっとだけ)、さっぱりわからない。 現在の歌はラップに象徴されるように(わたしはこのラップというやつが嫌いである)、大衆音楽はリズム主体になったようなのである。」(p192)

  「新しいスポーツにはまったく興味がない。なんだ、eスポーツって。大会賞金が巨額だからって、すぐ飛びつくんじゃないよマスコミは。 スケボーって遊びじゃないか。たしかに技が難しいのはわかる。しかし大げさに、スリーシックステイなんたらかんたらとかいっているが、一回転ということではないか。もうこういうことをいってはいけないことになっているけど、ゴールボールとかボッチャとか無理失理(むりやり)な競技じゃないか。」(p195)

  「日本の応援団長気取りの松岡修造も噓くささやわざとらしさが鼻についてきた。もういい。」(p195)

  「わたしはのさばる人間が嫌いなのだ。無理矢理つくられた漫才の第七世代など話にもならない。もはやお笑い業界は、おもしろくない連中が増えすぎて、かれらがお互いに笑い合って相互に支え合うという互助会に堕している。」(p196)

  「政治家をコンテンツと考えれば、政治という容器とそのなかに入っている政治家の質が低質である。その考えでいけば、首相と官邸官僚、五輪組織委員会と役員、新聞社と記者、テレビ局と局員、企業と会社員が内外ともに腐食している。」(p196)

  「無理ばかりがのさばって、道理が踏み潰される現在の世界や現在の日本に関心をもて、というほうが無理ではないか。・・・いまわかったことでもないが、世界は進化しない。それを促進させることができない。退化させる勢力があり、それを阻止できない。」(p197-198)

  これはもう、表題と関係なく、年寄である著者の愚痴?とも思える本音です。「わたしはもうほとんどあきらめている。あきらめさせてよ。あきらめるのはわたしの勝手である。」(p198)

 

  音楽については、著者は「いままでの音楽が最高である」とし、中でも「中島みゆき」をあげています。「彼女の歌の世界は、まるで歌謡曼荼羅(まんだら)のようである。・・・中島みゆきは日本の歌謡界史上、最高の女性歌手である。」(p202、p205)

  「中島みゆきベスト10」も書かれていますが、その中に私が知っているのはありませんでした。私が好きな歌は「時代」「地上の星」「世情」ですが、著者の好きな歌は「二隻の舟」「孤独の肖像」「エレーン」「最愛」「この空を飛べたら」といった歌です。よく知っているなあ!

 

第7章 死ぬまで読書

  「わたしにはもう多くの人とワイワイガヤガヤやりながら、交流を楽しみたいという欲求がまったくない。もうひとりでできる”愉しみ”以外、興味がないのである。その意味で読書ほどわたしに最適なものはないのである。」(p212-p213)

  幾つもの読んだ本、読みたい本が挙げられています。著者の読書量は大変なものと推察します。

  読書量が半端じゃないという事を含めて、著者の知識(映画・写真・絵画・音楽・歴史など)は相当なものだと言えます。ただ残念なことに、人間の・世界の将来について悲観的であること、あきらめていることなどが気になります。

 

  著者の一貫しているのは、シリーズの最初である「定年後のリアル」で述べています。

「定年後のリアル」(2013年8月8日発行。草思社文庫)

  印象に残った文章を紹介します。本の最終(結論)から・・・。

  「いまさらこんなことをいうのもなんだが、定年後はどう生きていけばいいのか、などという問いは、自分の内部だけでしか成立しない。他人に訊くべきことではない。で、でてくる答えはひとつである。”好きに生きよう”である。”好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう”である。せっかく、長年の会社勤めから自由になったのだ。流行りの言葉でいえば、今こそ思い切り”自分らしく”好きに生きればいいのである。だが、そのためには金がいる。その金がないのだが・・・というのなら、我慢するしかないのである。”わしはその好きなものがないんじゃが”なんか、わたしは知らない。わたしだってないのだ。」(p214)

  「老後に関する言葉もおなじである。”豊かで充実した老後””ステキな生活””これからがほんとうの人生だ”という言葉なんか、どうでもいいのである。そういう暮らしをしている人がいるだろうが、それはあなたではない。むろん、わたしでもない。あやかりたい気持ちはわかるが、他人を見ないことである。そして自分も見ないこと。見てもいいが、見過ぎないことである。世間の言葉はいうまでもなく無責任である。そんな言葉に煽られたり、負けることはないのである。」(p150)

  「仕事が大事なのは仕事をしているあいだだけで、辞めてしまえば、仕事など大事でもなんでもなくなる。・・・仕事をしてたときは充実してたなあ、とも思わないが、ある種の懐かしさがないわけではない。総じてみれば、けっこう楽しかったな、と思う。」(p102)「考えてみると、ある意味、学校や仕事はじつによくできた暇つぶしだったのである。」(p115)

  「それを含めて結局”あなただけの人生”だったのである。・・・つねにあなたの人生はあなただけの人生であるしかなかったし、現在もそうである。このことを腹の底で納得することが大切だと思う。”豊かなセカンドライフ”といわれても、急に新しい世界が開けるわけではない。定年退職後や老後はこれまでの人生の延長である。」(p65)

 

  あと、テレビ朝日系の人気番組「人生の楽園」(土曜日の18時)に対する違和感についても述べています。詳しくは、ブログ2017.11.14「人生の楽園」(テーマ別:書評)を参照にしてください。

 

  オススメは「定年後のリアル」だけです。50歳代~60歳代の人にオススメです。