クリスマスはルナがノロウィルスっぽい症状でかなり大変だったのは前回書いたけれども、その後は、結局ばたばたしてていつの間にか新年を迎えてた…。


というのも、クリスマス1週間目に妊娠してるってことが分かってうきうき。
でも、その反面、去年3月に流産した事もあるから、すごく慎重に…でもすごく不安で。最初の検診では、もちろん胎芽を見つけて、3ミリですよ。と。もちろんその時点では、心臓も確認できないし、手があるか足があるかだってもちろん確認できないので、先生には、とりあえず「おめでとう」と。
次の検診は、新年を迎えた後。
先生には、「そのときにどのくらい大きくなってるか、そしてそのときには心拍を確認できるかもしれないから、それを楽しみにしようと。」


ということで、クリスマス、新年は楽しい反面、何をするにも、慎重に。
今回は、ルナのときの妊娠よりもつわりがひどい上、眠くて眠くて、ごろごろする日が続いてて。
結局、クリスマスから年末の間のお店の超ピーク時期、2、3時間の労働で切り上げ帰る毎日。
大晦日も、本当のところは、お店でみんなで年越ししようなんて計画してたものの、つわりはひどいし、下腹部痛もあって、不安が募るばかりで楽しめなく、家に帰ってくつろいで過ごす事にしました。



年明け3日目。
毎日待ってた検診2回目。
内診を終え、乳がん検査をして、子宮の検査も。その時点で、先生に下腹部痛がひどい事を話したところ、「子宮が拡張してるから当たり前の事。1回目の妊娠でもあった事だろうけど、忘れてしまうんだよね。」と。子宮検査をしたところ、しっかりとしまってるし状態はいいようだねと。

では、胎芽の様子を見てみようと超音波検査台に移動。
3月に妊娠したときの最後の超音波検査で、胎芽の心拍が確認できなかったことを今でもフラッシュバックのようにの思い出してしまって、検査台に座ると、心臓がばっくばっくになって、息が荒くなって顔が引きつるのは、やっぱりいつになっても治らない。

今回もモニターにおなかの中の様子がうつった瞬間から、やっぱり頭痛がするほど緊張。
先生がなにも言葉を発さず、胎芽を探す事数分。
先生が看護婦さんに「前回の検診では大きさどのくらいだった?」
看護婦さん「3ミリでした」
先生「今日は何週目?」
看護婦さん「11週目です」
先生は、ズーム、ズームを繰り返し、探し、やっとぽっちが見えた時。
「ふーん。小さいね…約5ミリだ。」
妊娠の本やらで○週目には、約○ミリっていう目安をしってたので、素人の私でも、明らかに小さいのは分かった。普通以上に小さい、異常なんだ…。ってのが分かった瞬間に、わーっと泣き出し。
きっと、先生は、少しでも希望を…ということで、決して「残念だね」とは言わず、今すぐあきらめる事もできるし、後1週間待つ事もできるよ。と選択肢をくれた。前回同様、今後の経過は、先生からは何とも言えないし、何が悪い、原因だとも言えない。

もちろん感情的なこの瞬間には1週間待つと先生に伝えて帰宅。
帰り道も家に帰ってきても、その日はずーっとソファーの上でごろごろして泣くばかり。
考える事と言えば、なんでまた?慎重だったのに。何がいけないのか?なんか悪い物食べた?なんか悪い事した?と妊娠が分かってからの毎日を振り返るばかり。でも、その日の終わりの寝る前には、泣き過ぎのせいで、ひどい頭痛に襲われ、同時に少し冷静になって1週間待つと言ったものの、ほんとうにそれでいいのか?を悩みながら少しの間寝る事にした。

次の日になって、結局週末明けの月曜日に病院にもう一度行って手術をお願いする事にしようと、旦那さんに伝えた。
いろいろ考えた結果、1週間待ってもやっぱり希望は薄いし、いつまでも悲しんでる顔をルナに見せる訳にもいけないし。
こう考えると少し罪悪感を感じる物の、5ミリの目に見えない存在に希望をかけて、不安と悲しみに毎日浸ってるよりも、目の前にいる健康な自分の娘にもうちょっとありがたさを感じて、楽しい時間を一緒に過ごしてあげた方が現実的だし、子供にも私にもいいだろうと。

旦那さんには、流産するってことは、母体と母親には体にも心にも大きなショックだけれども、胎芽が自分がうまく成長できないと判断して、成長を拒み、母体がそれを早いうちに知らせるってことは、ある意味、賢い胎芽と賢い母体のおかげ。もっと時間が経って、もっと胎芽が胎児になってから、脳がない、足がない、欠陥があるなんて気づいたときには、今以上にショックも体の負担も大きいから、小さいうちに、早いうちに気づかせてくれた胎芽にも母体にも感謝すべきで、流産を喜べとは言わないけれども、早いうちに気づけて幸運だって思える日が来るよと。

それにしても、前回同様、心拍が確認できなくなった後、成長が止まってるって分かった後なのに関わらず、つわりも続くし、下腹部痛も続く。悲しいけれども、こういうときには、まだ成長してるのかなーって考えてしまう。でも、それもこれも、ホルモンの分泌のせいだと。
まったくもって、女性ホルモンってやつは恐ろしいもんだな…。


前回もいろんな人に言われたけれども、ドイツでの流産率は本当に高い。
「ドイツでの」って言うのは、日本ではあまり流産したなんて知り合いなんていないからだけれども、きっと、日本でも多いものの、「あたしは流産したのよ」って口にする人がかなり少ないんだと思う。ドイツでは、「あたしも経験あるわ」って言う人がごろごろいる。自分の身内の叔母さんたちも全員、2、3回経験あるし、近所の叔母さんも、お店の常連お客さんも、パートのおばさんも、友達も。
先生には、10人妊娠の確認ができた人がいたら、そのうち4人が普通に元気な子を出産できる割合だよ。と教えられた事がある。高齢出産やら不妊が多いに加え、その出産成功率を考えると、子供を元気に出産できるってのは、奇跡なのかなとも思える。

でも、流産経験のおばさんたちも、いまや、2、3人の子持ちとか孫持ち。私が流産したなんて話すと、みんないうことは、「つらいけれども、女は乗り越えなければならないのよ。でも、いつか健康な子供を産めるはず。そのときに、流産した経験もよかったって思えるはずよ」と。
もちろん今は、よかったなんて思えないものの、こんなに多くの人が経験してると思うと、乗り越えないといけない道なんだなと少し割り切れる。

どうやら、二人目流産っていうのは、多いらしく、原因はもちろん分からないらしい。
きっと、産後のケアをおろそかにしたから?1番目の子育ての疲れから?年齢から?
もちろん先生たちにだって分からない。前回の流産の後、流産の後の妊娠も、もしかしたら困難になるかもしれないし、また流産する可能性も多いと先生から忠告されてたから、覚悟はしていた物の、やっぱり謎は深まるばかり。
今回、私の先生も、ルナの出産、2回目の妊娠をみてくれて、私の体をよく知ってる先生だけれども、やっぱり妊娠、出産っていうのは、未知な事が多くて、疑問は募るばかり。それに答えられない先生も無力を感じるそうだけれども、先生よりも、母親の勘と母性の判断の方が正しいときもあると。

ということで、ここ2日は、ごろごろしたりぼーっとしたりぱっとしないけれども、そんなときは、ピアノに向かって2時間ほど弾ける曲をぱらぱら集中して弾くと、深く考える時間も減るし、気持ち的にさっぱりする。やっぱりピアノ買ってよかったな…。

明日月曜日には、もう一度婦人科にいって、病院の手術の先生の時間が合えばそのまま処理をお願いする事になるだろうな…。

手術しないといけないのか、まだ小さいから他の方法でどうなるのかは分からないものの、どっちにしても処理後は産後と同様の体とホルモンのせいで、安静にしてないといけないので、今日はまとめて洗濯をすべて終わらせ、1泊分の入院準備をまとめて日曜日の夜をゆっくり過ごす事にします。


ということで、大晦日の夜には、iPhoneをトイレに落としてしまって、使えなくなってしまったり、3日には妊娠経過が良くないと分かったりいい事がなかった…。
残りの295日は、少しでもいい事が増えますように…。