幸せは比べて感じるものなのか?
いやっほーーーーーーーーい!!!
わたしは誰でしょう?誰でしょう?
ぼぶだよーーーーーーー^^
アメリカの生活について書こうと思いましたが、
やっぱり、全然アメリカと関係ないこと書きます! (!)
いきなりですが。
こないだクラスで、「発展途上国では子どもが商品みたいに売られる」っていう話が出て、
「メキシコでもたまにある」だとか「イエメンでも未だにある」だとか言ってた時に先生が、
「そんな中、ここで(安全に)授業を受けていられる私たちって幸せじゃない?」
って言って、みんなが「そうだね、幸せだね」って同意してた。
なんか、その時、「あれ?」って思いました
その先生の言葉が、なんか嫌でした
「途上国」と呼ばれる東南アジア諸国に行くと、貧困を目の当たりにする
そこで、「わたしたちって日本に生まれて幸せだと思った」とか言うひとがいます
わたしはその考えがあまり好きではないです
自分の幸せを実感したり考える上で、誰かを比べることは、おかしい
おかしいし、比べた相手にも失礼だし、
そもそも、そんな中でしか幸せを見つけられないのは悲しいことではないか?
だから、24時間テレビとか観ると、正直複雑な気持ちになる(だから観ない)
白血病とか難病とか、そういう病気をネタにしてるけど、
結局視聴者は病気の深刻さを理解するというよりも、
「わたしは難病じゃなくてよかった」っていう安心感を与えられてるだけな気がする
視聴者に安心感や幸せを与えるために難病者は難病と闘ってるわけじゃないのに
24時間テレビがそんなことを意図としているわけじゃないのだろうけど、
やっぱり人に伝え、感じてほしいことを感じてもらうのは難しい
KLCUPの中で世界の現状を伝えることをしていたけれど、
特に「地雷」なんていう非日常的なことを伝えることは難しいと感じました
地雷という非人道的なものがなくなるためにはどうしたらいいか?という関心や、
地雷がなぜ生まれ、なぜなくならないのか?という興味を持ってもらいたいのに、
「日本には地雷がなくて、自分は地雷がない国に生まれてよかった」と思われることがある
それは真実なのかもしれないが、そう感じてもらいたいわけじゃない
「地雷の深刻さ」は、日本を安全な国と思える材料じゃない
伝えること、考えてもらうこと、感じてもらうことのむずかしさを日々感じます。。。
なので、みんなは頑張ってください (!)
KLCUPや展示を通して感じてもらいたいことは何か?
実際に参加者に伝わったことは何か?
もしそれが違ったら、何がどうして伝わらなかったのか。
国際協力とかチャリティーをしたとき、
「日本(あるいは自分の環境)に生まれて幸せ」っていうメッセージを受け取るひとが多くて、
そうならないようにするには、一体どうすればいいんだろう???