末期癌だったパパさんの従兄を御見送りしました | アダージォな毎日~愛犬と一緒♪

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3月の29日に容態が急変し危篤状態だった従兄が、4月6日のお昼過ぎに静かに息をひきとりました。

 

 

 

一昨日通夜、昨日が告別式で

御見送りしてきました。

 





 

生涯独身だったので、この1年は主にパパさんがお世話を頑張ってきました。

 

  

お正月に家族でホスピス施設を見舞ったとき、娘に「葬儀のときはヴァイオリンを弾いて見送ってほしい」と言っていたので、通夜には出られなかったけど昨日は娘もかけつけました。

彼の好きだった「月の砂漠」と娘のアレンジで「春の小川」を繋げ、演奏しました。

 

約束を果たせてよかったと娘。

 

喜んでくれたかな...


(従兄さんも子供の頃はヴァイオリンを習っていて、音楽 芸術全般に知識や理解があり、娘の音楽活動をいつも応援してくれていました)

 

 


名古屋大学経済学部を出て商社に勤め、海外あちこち飛び回り50歳で早期退職。

その後中国に留学し、帰国後は地元に帰らず京都に住み、お寺を全部回り制覇したそう。

 

自由に世界を飛び回っていたせいか、お友達もバラエティにとんでます。

 

 

全身に癌が広がってしまってからは兄妹のいる地元に戻り、兄嫁さんが主にお世話していたけれど兄嫁さんも体調を崩し 車の運転もままならなくなったので、パパさんがそこからは全部引き受けた形になりました。

 

元々気が合う仲良しの2人は病床でも話がつきず、なかなか帰ってこない事もありました。

 

 

私が顔を出すと「○○ちゃん(義母)のお世話大変だけど宜しく頼むね〜  ○○くん(パパ)をいつもお借りしてすまないけど許してな〜 頼れるのは彼しかいないねん」

と言っていました。

 

 

我が家はダブル介護になり、正直きつかったこともありましたが、思う存分お世話できて悔いはないとパパ....。

 

 

パパも地元にいるときだったし、私たちのコンサートやイベントの日は避けて旅立って行った従兄さん。

 

 

遺品には病と闘いながらも、英文や中国語で勉強を続けていた細かい字の大学ノートがたくさん!

 

独身で我儘で、口は悪いし、自由奔放さが鼻につくくらいだったけど、凄い人だったんだなと改めて知りました。

 

 

三人兄妹で1番若いのに、病に侵され先立つのは悔しかったことと思います。

 

 

もう余命がないと医師から言われたのが昨年の夏...。そこから半年以上も頑張り生涯を全うしました。

 

 

ゆっくり休んでくださいね。

 

今までありがとうございました。

 

 

2月末 従兄さんのマンションの退去時、お手伝いできてよかったです。

 

 

毒舌がきけないの、淋しくなっちゃうな...。

 

 

 

今日また東京に戻って行ったね(^^;;

 

 

しかもまた水曜日に帰省するよ。

 

 

我が家の行事はまだまだ続く4月です...。

 

 

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昨日ピアノに触れませんでしたが、今日は演奏会の準備とChopinの舟歌や別れの曲、ノクターンなどを従兄さんを偲びながら弾きました。

 

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