Peter Serkin plays Chopin | 最近の音楽鑑賞など

最近の音楽鑑賞など

本業関係および趣味について書きます(以前から変更しました)。

久しぶりで録音をいろいろ聞いている。最近はアナログ志向が強く、LPディスクを取り出すことが多いが、やはり聞いていて心が休まるような気がしている。

 

昨日はこのレコードを聴いた。若いころはピーター・ゼルキンの演奏が好きだったのだがしばらく聞かなかったので、現在聴くとどんな印象になるのだろうと思ったからである。この人のショパン演奏は4枚持っているが、最初の3枚はLPディスク、残りの1枚はCDで、特に1枚目、「華麗な変奏曲」ではじまる演奏がなかなか気に入ったものである。

 

あれから私もいろいろなショパン演奏を聴いてきた。若いころはルービンシュタイン、ホロヴィッツなどが巨匠と言われていて、そのほかにコルトー、ブライロフスキー、フランソワなどもよく聞かれていた。若手ではアシュケナージ、ポリーニなどが登場した時代だった。ポーランドの演奏家ではハラシェヴィッチなど。日本の内田光子がコンクールで2位になったニュースを聞いたこともよく覚えている。

 

ショパンの演奏と言ってもいろいろである。例えばドイツ音楽などとは違い、どれが正統、などという言い方が難しいように思われる。フランスにはショパンが活躍していたころからの伝統があるし、ロシアにもアントン・ルビンシテインあたりからの伝統があるようだ。もちろんポーランドにもある。ドイツの演奏家ではバックハウスの弾いたエチュード集以外はあまり聴かなかったが、W.ケンプのショパンを推薦する評論家氏もいるようだし、何が良いのかは人それぞれといっても良いだろう。

 

このディスクにはマズルカが何曲か収録されており、昔と印象が違ったのはそれらの演奏についてだ。解説に「ピーターの音楽はきわめてストイックで厳しいが、<やさしさ>に満ちている」とあるが、昔はまったくその通りだと思って聞いたものだ。どころが今ではやや真面目過ぎて味わいに乏しいような感じを受ける。マズルカはもう少しリズムに独特なものがあるはずだと思うが、などという気持ちで聴いてしまうのは私に余計な知識が入ってきたからなのだろうか。ただ、リズムに特徴があればマズルカらしいとも思わないし、例えばかつてのブライロフスキーのマズルカ集などは私にとってはあまり楽しめなかった。このジャンルではやはりルービンシュタイン、チェルニー=ステファンスカなどをよく聞くし、ホロヴィッツも好きである。ベネデッティ=ミケランジェリの演奏もいわゆるマズルカのリズムとはやや違うような気がするが、心に訴えてくるものが強く、時々聴きたくなる。

 

『宇野功芳編集長の本 音から音楽へ』に宇野氏と遠山一行氏の対談があり、その中にこんな言葉がある。

遠山(ティボーについて)あれは本当の音楽家だなと思いました。技術屋さんじゃない。本当はなんでも弾けるというのはおかしいし。なんでも弾けるということは、なんにも弾けないということであって・・・

―― そのとおりですね。

遠山  今の音楽家はそういうタイプが多い。みんなただの「音楽」というか、技術的情報になってしまう。

――  なるほど、音楽じゃなくてね。

遠山  モーツァルトはこういうスタイルで弾くものだとか、ショパンはこうだとか、そういう情報から先に入る。おかしいことはしないけど、ちっともおもしろくない。

たしかに皆が同じものを目指しているということは感じる。演奏の「個性」とは何だろうか、そんなことを考えながら聞いた1枚であった。2枚目、3枚目では、「即興曲第3番」「夜想曲Op.55-2」の演奏を聴いて、その昔、ショパンの音楽を自分で(先生に習った通りではなく)演奏してみよう、と思ったときのことを思い出す。自分の演奏の目標とは違うところもあるが、とにかく演奏者の考え方がよく分かる。こういう演奏をこれからも聴いていきたいと思う。