クリスマスですが | ピアノ・作詩・作書画アーティスト♬矢野志保美 ピアノ・アレクサンダーテクニック講師 Shihomi Yano

ピアノ・作詩・作書画アーティスト♬矢野志保美 ピアノ・アレクサンダーテクニック講師 Shihomi Yano

ピアノ、作詩・書道、作画やっています。(志季project)
ピアノ、アレクサンダーテクニックの講師。2024年4月より移転、神戸市東灘区にてレッスンしています!
ハンブルク・スタインウェイO型があります。
http://shihomi-piano-alex.jimdo.com/

河村(矢野)志保美

クリスマスの日にこんな事を書かなくても良い気もするけれど、年内にどうしてもメモしておきたいと前から思っていた事。

自分自身が、今、目の前の幸せを感じられずに、どうして人の幸せを願えますかね。
私が昔から偽善だと感じる事の一つとして…。
自分が満たされない分、元々備わっている母性?のやり場がない人たちが、外にエネルギーを発信して何とか満たされようとしているようにしか見えない構図……。
活動のエネルギーって大変だとは思うのですが、それ、人に素敵な伝播、するだろうかなと。。。

本当の使命感を持ってる方とはやっぱり違うと言いますか……。

「○○すべきだ、どうして目覚めないのか?」

みたいな事を言われて、「そうだな」と思える人は、もう既にそんな事言われなくても粛々と動いているよね。見えやすい行動だけが行動ではないし。まず家庭から、だと思いますし、そんなの外に発信することでもなく、粛々とやること。

では、気付きの無い人が「目覚めよ」と言われて果たして目覚めるのかどうか。
余計敬遠されて終わりだと思いますねー。

mustを人から言われても心底から素直に納得する人はいないでしょう。
たとえ自分で決定する事柄であっても、mustだったら自分で首を絞めている様でしんどくなりますもんね。

ですから、どんなに素晴らしいと思うことでも、いきなり自分の間合いに入られたら人は不快だと本能的に思ってしまうんじゃないでしょうか?
特に日本人は。

まず自分の生活や「表現世界」がしっかりある方は、そこで既に満たされているので、発信の際には余計な感情は必要なく…

例えばこの数年の、コロナ騒動だったりマスクのことだったり。なんでも言える事だと思いますが…。

あとは逆に、自分と考えの違う人を、謎の上からな言い方だったり、言葉汚く言ってしまう方も、周りの人からすれば、その逆の考えの人と実はあなた、おんなじだよ、みたいな…。
長い目でみたら日本の為になっていない事もあるかと。
うっかり分断を煽られてしまいますね、そのスタンスだと。

ってなわけで?!
泰然自若としつつ、一つ一つ見ていかなきゃ直ぐにイデオロギー化しちゃうし、ほんと子供の命も守れない様な昨今なのですが!
穏やかなクリスマスを。
そして明日からはお正月に向けての準備ですね☺️