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2006.4.6/ダニエル・ハーディング:東京フィルハーモニー交響楽団

オーケストラがこのコンディションでは何も言えない。

結論から言うと、オーケストラの非力さがあらわになったコンサートだった。
ハーディングは、99年の来日公演を聴いた。モーツアルトのドン・ジョバンニだったが、アンサンブルが素晴らしく、唖然とした記憶がある。当時24歳だった。それを知ると驚くが、知らなくても感動しただろう。
それだけの才能である。欧州でも順調に評価を高めて、初めて日本のオーケストラを振る。しかもマーラーの2番であるから注目は高まり、チケットは完売だった。
冒頭から、ハーディングの音楽作りの志向は明快だった。きわめて音の構築が明晰で、流れを重んじるマーラーである。これは嫌いではない。特にこの曲は長大である。1楽章をあまり重厚に演ずるよりも、終幕まで見通した全体構成を考えたのだろう。
しかし、オーケストラの力量が露わになるのも、こうしたタイプの演奏のリスクである。東京フィルは大変に、出来不出来が激しい。オーケストラの「合併」以来そうした傾向にある。しかも、このコンサートと並行して、新国立劇場でオペラを演奏している。
微妙に演奏日は異なるが、ローテーションを組んで担当しているのだろう。この日の「復活」の管楽器、特にホルン、トランペットは楽譜どおりに演奏することもままならない。こんなに出来の悪い日本のオーケストラを聴いたのは久しぶりである。
1楽章でホルンが、伸ばしの音の最後で妙な音を出した。出だしの失敗も相次いでいたが、語尾で妙な音を出すのは、緊張感がないか、花粉症が治っていなかったのか。
そういうわけで、気が散って音楽に集中できなかった上、オーケストラがそういう状況なので、この指揮者について、そして演奏の質についてはちょっとこれ以上評するのは遠慮しておこうと思う。


2006年4月6日 オペラシティ・コンサートホール(東京)

東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ダニエルハーディング

マーラー 交響曲2番ハ短調「復活」

他の出演者等の詳細はこちら


シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ イ短調

ここから始めるシューベルトはどうだろう。

シューベルトという名前からはみんな何を連想するのか。もっともよくつく形容詞は「甘美な」ではないかと思う。日本でシューベルトはベートーヴェンと比較されてきた。「運命」と「未完成」のカップリングと言うのは昔のLP時代の定番である。「激情」のベートーヴェンに対して「甘美」なシューベルトという対比である。または「歌曲王」のイメージ。「野ばら」や「魔王」などは昔から教科書によく出ていた。
だがシューベルトの音楽が「甘美」で片づけられるほど単純には思えない。時に凄絶で怜悧で、もちろん甘美なメロディーもあるが幻覚のような切なさと縁が切れない。
そこでシューベルトを聴いてみたいという人にまず1曲勧めるならば、この「アルペジオーネ・ソナタ」はどうだろうか。
アルペジオーネは19世紀前半に発明された6弦の楽器である。フレットを持つのでギターと似たところもあったのだろう。
現在はチェロとピアノで演奏される。チェロの響きは、またシューベルトの特質を伝えるのに大変向いているのではないか。伸びやかなメロディーのすぐ脇に潜む暗い洞穴。この曲が好きになれれば、きっとシューベルトとは長い付き合いができると思う。

お勧めのディスクはマイスキーのチェロとアルゲリッチのピアノ。世評も高い。


アルゲリッチ(マルタ), マイスキー(ミッシャ), シューベルト, シューマン
シューベルト : アルペジオーネ・ソナタ


ベートーヴェン:ピアノソナタ21番ハ長調「ワルトシュタイン」

とにかくカッコいいベートーヴェン

ベートーヴェンというのは時々妙にカッコいい曲を書く。特にリズムに関して言うと、驚くほど大胆だ。今のようにロックやジャズが当たり前の時代にはそうでもないだろうが、当時としてはかなり前衛的に捉えられたのだろう。
そしてベートーヴェンのピアノ曲、すべて32曲あるソナタは名曲ぞろいである。初期の軽やかな感じから、後期の雄大で深遠な曲想に至るまで歳を重ねるプロセスを感じることができる。
本日紹介する曲はその中では「中期」の幕開けとされる曲。30代半ばも作品である。
タイトルの「ワルトシュタイン」これだけで結構カッコよさそうだけど、これはワルトシュタイン伯爵に献呈されたことに由来する。
これを初めて聞いたとき、かなり驚いた。クラシック、特にベートーヴェンのイメージを遥かに裏切るカッコよさだったのだ。ホロヴィッツのステレオ盤だったが、彼特有の硬質なピアノと音とあいまって、大変にスリリングな感じだ。
ダダダダダダダ、とピアノが入ってくるところからしてすごいアイデアだと思う。もしベートーヴェンのピアノ曲なんか興味ない、という人がいたらぜひ聞いてほしい。気に入る人は3分で気に入るだろう。そうしたら、クラシック音楽の世界も広がるはずである。
ディスクだがポリーニの弾いたものが気に入っている。新旧2種類あるのだけれど、僕は古いほうをよく聴く。世評の高いのは新しい方であって「柔らかくて深みがあり」、旧盤は怜悧で音が固い言われている。
だが僕がワルトシュタインに求めるのはまさに旧盤に凝縮されているので、そちらが好き。演奏の好みは好き嫌いもあるので、できるだけ世評と僕の好みをわけて書こうと思う。

ポリーニ(マウリツィオ), ベートーヴェン
ベートーヴェン:ピアノソナタ第17番・第21番・第25番・第26番

2006.3.12/チョン・ミョンフン:ロンドン交響楽団

ロンドンのオケとチョン・ミョンフンの相性はかなりいいのではないか。

チョン・ミョンフンを聴くのは久しぶりである。フィルハーモニーとの「幻想」、本日と同じロンドン響とサン=サーンス3番、その他イタリアやフランスのオーケストラとの来日、東京フィルとの演奏も何度も聴いた。
僕は90年代後半の英国のオケとの演奏が一番好きである。チョン・ミョンフンの棒はかなり個性的で、柔軟性のあるオケでないと破綻する。東京フィルとの演奏が、就任コンサートあたりはよかったものの、その後どうもしっくり来なかったのはその辺りに原因があったのではないか。これはまた稿を改めて書くが、それはさておいて今回の演奏はなかなか充実していたと思う。
メインは「展覧会の絵」トランペット、サックス、チューバの名人芸を堪能できたが、何と言っても終曲「キエフの大門」に向けての曲作りが圧巻だった。この曲は終曲の設計が演奏の印象を大きく決めると思うが、最後の最後に一番大きな音を鳴らすまで、息の長い音楽作り。こういう設計に応えることにかけては英国のオケは本当にうまい。アンコールのプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」から「タイボルトの死」。これは以前チョン・ミョンフン来日時に組曲を演奏したはず。
だがそれ以上に思い出しのがチェリビダッケがロンドン交響楽団を率いての初来日。81年だったと思うが「展覧会の絵」に続いて、まったく同じ曲をアンコールでやったはずである。「はずである」というのはテレビで見ただけなのでどうしても曖昧。僕はブラームスの1番の方のコンサートに行ったのだが。
四半世紀を経て、サントリーホールの同じ曲並び。当時を知る団員はどのくらいいるのだろうか。
前半の「魔弾の射手」序曲はかなりテンポを揺らがせるダイナミックな演奏。ベートーヴェンのバイオリン協奏曲はやや不完全燃焼の印象だったがアンコールのイザイ「バラード」を聴いて納得。ソリストのラクリンはもう少し現代に近い曲の方が持ち味が十分に出ると思った。しかし、ベートーヴェンの時もオケの響きは大変深い。
冠コンサートの東京日曜マチネとなると客層が独特でそれはまた感じるところもあるがそれもまた別の機会に。


2006年3月12日 サントリーホール(東京)

ロンドン交響楽団 指揮:チョン・ミョンフン バイオリン:ジュリアン・ラクリン

ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」序曲

ベートーヴェン 「バイオリン協奏曲」

イザイ「バラード「No.3」 (アンコール)

ムソルグスキー(ラベル編曲)組曲「展覧会の絵」 

プロコフィエフ バレエ組曲「ロメオとジュリエット」より「タイボルトの死」

チャイコフスキー:交響曲第5番

勝ちたい気分の時の名曲。

「運命型」という曲のカテゴリーがある。ある、というかいま考えたんだけど。つまり「苦難」から始まり「勝利」で終わるというストーリー構成。交響曲にはそういう説明はないのだが、そう解釈されやすい曲と言うことか。短調ではじま長調で終わるわけだ。
チャイコフスキーの5番はその典型。盛り上がった曲を聞きたければまずお勧めである。しかも、生演奏でも成功確率が高い。金管楽器がしっかりしていればアマチュアオーケストラでもいい演奏ができる曲である。
1楽章は静かに始まる。暗いメロディーだがひっそりと忍び寄ってくる運命というイメージだろう。その格闘の後に2楽章は安らぎのメロディーである。聞き所は冒頭のホルンソロ。クラシック史におけるあらゆるホルンソロの中でも1.2を争う有名度&高プレッシャー。3楽章は夢を見るようなワルツ風の間奏。そして、仰々しく始まる4楽章。
この曲は若い頃にハマル人が多い。わかる。歳をとると少々気恥ずかしいのである。特にフィナーレはカッコいいけどかなり大げさといえば大げさだ。
でもそんなこと気にしないで、ズンズン進むと享楽が待っている。躊躇はいけない。ディスクであるが、この曲はそんなに外れはないと思う。というか、この曲で凡演というのは深刻かもしれない。
生演奏では81年のオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏が思い出深い。キラキラだった。その2年ほど前にFMでオンエアされた岩城宏之と札幌交響楽団の演奏も印象的だった。
ディスクではアバド指揮シカゴ交響楽団はどうだろうか。フィナーレのトランペットを初めとする金管群はかなり刺激的。カラヤンはたくさんあるので、それについてはまた別の日に。

シカゴ交響楽団, チャイコフスキー, アバド(クラウディオ)
チャイコフスキー:交響曲第5番/地方長官


ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調

とっても歌える、歌いたくなるシンフォニー。

よく考えると音楽の殆どは歌である。普通「どんな曲?」と聞けばメロディーを口ずさむだろう。ところがクラシック音楽というのは「口ずさめない」ものが結構ある、という妙なジャンルである。
たとえば早弾きのバイオリン。あんなもの口ずさめるわけが無い。ショパンのワルツだって結構難しい。また、交響曲なども実は「メロディーがあるようでない」曲がある。
たとえばベートーヴェンの第5番。「ダダダダーン」「ダダダダーン」この後は普通に歌えないでしょう。「スチャチャスチャチャチャスチャチャチャチャー」とか歌わないな、普通。
つまり、ベートーヴェンに代表されるドイツの曲は短い音のかたまり=主題を組み立てながら一つの世界を作っていく技法を使うことが多い。
これはクラシック音楽ならではの技法で、これによって特にシンフォニーなどは芸術史に決定的なポジションを確保したのだ。
でも、歌える曲を聞きたい。そういう欲求は当然あるわけで、それを満たしてくれる代表がドヴォルザークなのである。交響曲で有名なのは9番の「新世界から」だけど、今日紹介するのは第8番である。これも名曲だ。
まず冒頭から「歌えるメロディ」フルートが時を告げて一気にクレッシェンド。まずこの辺りまででひきつけられると思う。2楽章は内向的な曲想。曇り空の日に、家で考え事をしているような感覚になる。そして3楽章。実はここがこの曲の「売り」である。たっぷりと舞曲風のメロディーが楽しめる。ブラームスの交響曲2番との類似性を指摘する人もいる。(ブラームスが先)そして終楽章。途中のフルートソロなど聞かせどころも満載。
40分弱くらいの曲でメインにすると少し軽い感じになるが、引き締まったいい曲だと思う。79年のカラヤン=ベルリンフィル東京公演ではこの曲を前半で後半に「展覧会の絵」という日があったと思う。なんだか豪気。
ディスクではカラヤン指揮ウィーンフィルの世評が高い。バランスもよく僕もいい演奏だと思う。古くはセル=クリーブランドが有名。新しいところではアバド=ベルリンフィルなども興味深い。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ドヴォルザーク, カラヤン(ヘルベルト・フォン)
"ドヴォルザーク : 交響曲第8番,第9番「新世界より」"

モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番二短調

ユラユラ揺れるモーツアルトを聴くなら。

モーツアルトの曲は長調のものが多い。つまり明るい曲が多いのである。だから単調の曲は珍重される。
「美味しい甘味屋さんがあるんだけど」
「甘いものは、気分じゃないの」
「じゃあ、ところてんにすればいいじゃない」
ちょっと違うか。
「落語を聴こうよ」
「いま、泣きたい気分なの」
「じゃあ、人情噺がいいよ。芝浜とか」
どうもキレがない。続きである
短調の曲だと交響曲なら25番と40番。弦楽五重奏曲の4番。なぜだが、すべてト短調。どれも、ユラユラとした感じの憂いのある曲想である。
ピアノ協奏曲だとこの20番と24番。モーツアルトらしいユラユラした曲想を味わいたければこの20番は素晴らしい曲だ。
全曲を通してモーツアルトの天才ぶりが弾け切った曲だ。
1楽章のザワザワした感じのシンコペーションがまずただならぬ気配。ピアノソロが入る一瞬は本当に神業としか思えない。あとはもうなすがまま。
2楽章はのどかで明るく、3楽章はまたもや劇的。
モーツアルとの短調の曲に共通するユラユラとそれでいてちょっとゴツゴツした感じは何なのか。以前聞いたのだが「馬車のリズム」では、と唱えた人がいるらしい。あの頃の馬車の旅は結構苦痛であったそうだが、モーツアルとは幼少時代から旅を日常としていた。
その旅を人生にあわせてみたりするのもクラシックの楽しみ方だし、ただただ美しい響きに身を任せるのもいいと思う。
僕が好きなディスクはグルダが弾いたもの。アバド指揮ウィーンフィルのバックも素晴らしい。世評も高いディスクである。

グルダ(フリードリヒ), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, モーツァルト, アバド(クラウディオ)
モーツァルト : ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466