こんにちは、仲島明(あかり)です。
かんたん自己紹介
タイ古式マッサージとカウンセリングとレイキヒーリングのサロンをしながら
4人年子(7歳・5歳・4歳・2歳)
育児に奮闘しています
私の過去
物心ついた頃から生きづらさを感じる16歳でうつ病発症自殺未遂を繰り返し3度の精神病棟入院夫の浮気自分のことは自分で幸せにするしかないと強く覚悟する心理学を学び、カウンセラーになる自分の心を整え、幸せな人生に
夫婦の歴史
4年半に及ぶ長期セックスレス(夫側拒否)夫の浮気心理学を学び、カウンセラーになる自分の心を整え、再構築
仲良し夫婦
振り返ると、
私の人生の
三十四年間のうち三十数年は
愛を手に入れるということが
この人生においての
目標だったように思います。
私は愛されない存在だと
頑なに信じていたし、
誰からも
愛されていないと思っていたし、
愛されていないから
苦しいのだと思っていたし、
誰かが私を愛してさえくれれば
幸せになれるのだと信じていました。
愛さえあれば…
愛を手に入れられれば…って
ずっと愛を求め続けてきてました。
私の中に"これが愛"という定義があって、
その定義は絶対的に正しい
ものだと頑なに信じていたから、
それ以外のものを愛とは
思っていませんでした。
私をキャッチャー、
愛をボールに例えると
分かりやすいかと思うのですが、
私はポンコツキャッチャーでした。
私の中で、仮に
ボール(愛)というものは
ピンク色をしていて、
形はハートのもので、
ふわふわと柔らかく
優しく浮かんでいるもの
だという定義がありました。
これこそが、
ボール(愛)なのだと信じてました。
でもいつも
私に向かって投げられるのは
白い色で、
形は丸いし、
固そうだし、
すごい勢いで飛んでくるし、
これはボール(愛)ではないと思って、
全てスルーしてきました。
私はボール(愛)が何かを
知っていたつもりでいたけど、
知らなかったから、
取れなかったんです。
そしてピッチャーに
文句ばかり言ってました。
「あなたがボールを投げてくれないから、
私はボールを手にできない。」
「ボールを投げてもらえないなんて、
なんて私は不幸なの?」と。
そうやって文句を
言い続けている間にも
常に、いつも変わらず
ピッチャーはボールを
投げ続けてくれていたんだけど…
このようにして、
私はボールを求めながら、
ピンク色のハートこそがボールだと
信じて、全てのボールを無視する
人生を送ってきました。
あなたはボール(愛)を
どんなものだと思ってますか?
愛されなくて辛いと思っている人の多くは
過去の私と同じように
愛が何かを知らないから
受け取れないだけなんじゃないだろうか…
自分の中にある
愛とはこういうものだと
信じているものが
本当の愛とは
そもそも違っているんじゃないだろうか…
愛って、
そんな特別なものじゃなくて、
手に入れるものが難しいものでもなくて、
誰一人として欠けることなく、
いつもいつも私たちは
愛に満たされて生きています。
愛って何だろう?