先月、glee season5 第1話~第3話の放送がありましたね。
私はgleekを宣言しておきながら、なかなか腰を据えて観る時間が取れずにいて、
つい最近一気観する事が出来ました。
これを観たgleeksはどんな想いを抱いているのかな…と、考えています。

忙しい毎日で観る時間が取れずにいたわけだけれど、
観るのが怖かった、というのも事実です。
第3話でフィンの死を悼むepisodeが描かれる事はもちろん知っていたし、
それがどんな描かれ方をするのか、気にもなりました。
でも、Coryの死は現実であり、
単なるSTORYの作り物ではない。
それを、私の中でどの様に受け止めるか、
心の準備が出来ていない気がしていました。
たった一人のドラマのファンが
観ようが観まいが、事実は変わらないのにね。

私はCoryの大ファンだったわけでもないのに。
フィンの大ファンだったわけでもないのに。

Epi1 Epi2に関しての感想は、ここでは割愛します。

Epi3。
正直、私は、がっかりしました。
それでいいのかな…それで。
これでいいのかな。


台詞の中に、人間はどんな死に方をしたかではない、
どう生きたか、だ、というのがありましたね。

そんなの、綺麗事だ。




たしかに、Coryがどれほどの人格者で、
どれほどの優しい心の持ち主で、
って事は私には分からない。
彼の素晴らしさ、周りの人々のみならず、
まるきり他人の視聴者、ファン達に、
与えてきた影響、喜びや感動は
それは計り知れないものであるには違いない。
だけど、前にも私がこのブログのどこかに書いた通り、
私が彼の死を悲しむのは、
彼が単にgleeという私の愛してきたドラマの出演者であるからという
同情の一種でしかない。
しかも、
gleeの事を私はすべて肯定するつもりなど少しも無く、
その内容に、反発感を抱く事も多かった。
そしてこのseason5 Epi3も、
納得のいくものではなかった。

彼の死をあの様な描き方をした理由は、
やはり、残された者への気遣いかもしれないし、
クリエイター達の優しさなのかもしれないけれど。
ゲイがどうとか、同性婚がどうだとか、
人種だとかイジメとか、夢を追う事が大切だとか、友情とか…
数えきれない程のメッセージを送り続けてきたこのドラマの中で、
あまりにもCoryの、フィンの死の表現が、
曖昧というかオブラートに包まれ過ぎている、と、
私は感じたわけです。


美談になんかなっちゃいけない。

彼の残したものは、大きい。

死に方だって、意味のある死に方だった。

日本では、それは少々現実離れしたことかもしれないけれど。

アメリカや、カナダや…世界中で。

そこでは決して若者から切っても切れない
大きな問題であるに違いないのだから。

そして。
メンバー達も、そのすべての想いが
正しく描かれているわけではない、と、
どこかのインタビューに書かれていましたね。


泣きました。
もう、冒頭から泣きました。
この残されたメンバー達や、特にレイチェルに関しては、
涙無くしては観ていられなかった。

シーズン1からのオリジナルメンバー達は
やはり美しい歌声を、このEpi3でCoryへ届けとばかりに
響かせていましたね。
それぞれの深い寂しさや悲しみや、感謝や、
様々な想いが溢れ出てくるような歌声に、
心を動かされずにはいられませんでした。

それは間違い無く、その残された者達への同情であり、
私自身が大切にしていたものを無くした悲しみや寂しさへの思いからくるものです。


ところで、最後のオチなんだけど、
実は私は引いたんです。
ドン引き、とまではいかないけれど。
涙が、引いちゃった…
なんでかな…
あのオチは、私的にいただけなかった。
悲しいのは彼だけじゃない。
あまりにも子供っぽいじゃないの。
彼とフィンの心の結び付きがどれほど強いものだったのか。
無くしたものが、悲しみがどれほどの大きさだったのか、
それを表現したかったんだろうけどね。