こんばんは。みなさん。今日は私の故郷の紹介をさせてください。私は1961年の12月25日に長崎県五島列島の奈留島という人口6000人(その当時:今は2000名もいないかもしれません)程度の島に生まれたのですが、実はこの島以前は少しだけ有名だったのです。それは

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五島列島のほぼ中央、人口2000余りの奈留島。入り江の岸壁につながれた巻き網漁船が十数隻、柔らかな日差しを浴びてゆったりと波間に揺れている。そこから椿の花が咲く緩い坂道を20分ほど上がり詰めたところに、長崎県立奈留高がある。校門を入ると、高さ2.5メートル、高さ2メートルの御影石製の碑が建っていて、こんな歌詞が刻まれている。

風がやんだら 沖まで船を出そう手紙を入れたガラスびんを持って
遠いところへ行った友達に潮騒の音がもう一度届くように今 海に流そう

そう、あのユーミン、松任谷由実さんの「瞳を閉じて」だ。デビュー間もない22年前、ひとりの女生徒の手紙をきっかけにプレゼント。奈留高の愛唱歌として、今も歌い継がれている。

「ほんの気まぐれ、遊び心だったんです。なのに有名になってしまって、だか照れ臭い思いです」
1975年卒業で、今は東京・葛飾区に住む二児の母、Aさん(39)は、懐かしそうに振り返った。

当時の奈留高は、南側の福江島にある県立五島高の分校。本校の校歌は奈留島とは縁遠かった。2年生の冬、Aさんはラジオの深夜番組に投稿した。思いがけず、願いはかなった。曲は校内放送で何度か流れた。
だが、さして話題になることもなく、校歌にするのも「フォーク調なので」と職員会議で見送られた。
Aさんも、ユーミンから届いた楽譜とテープを自宅の机にしまい込んだまま、卒業と同時に上京した。
「こんなちっぽけな島から早く飛び出したい、自由に振る舞える都会で暮らしたい、とばかり考えていたんです」レストランのウエートレスをしながら夜間の短大へ。就職、そして結婚。里帰りするのは2、3年に一度ほどになり、国訛りもいつしか消えた。あれほど大はしゃぎした「瞳を閉じて」だったのに、口ずさむことさえ少なくなった。

そんなある日、電話があった。島に残って、郵便局の配達員をしている同級生のBさん(39)からだった。
「あの歌、全国の音楽の教科書に載ることになったで。歌碑ば造って、ユーミンも呼ぼうで」

Bさんの呼び掛けに、同級生ら600人から100万円を超すお金が寄せられた。碑の除幕式は、88年8月14日に行われた。Aさんら島を離れた卒業生も久しぶりに集まった。ブラスバンドの演奏に迎えられたユーミンは、碑を見て、教室から海を眺めて、「あ、私の字。えっ、詞と同じ風景じゃないの」とつぶやき大粒の涙をこぼした。

「あの時のユーミンの感激ぶり、B君らの輝いた顔、忘れません。今も思い出すたび、ふるさとっていいなって気持ちになるんです」Aさんは、時折、目をつむり、しみじみと話した。

その後、奈留高では卒業式や終業式、記念行事で、「瞳を閉じて」をみんなで合唱するのが恒例となった。
今年は3月1日、60人が学び舎を巣立つ。島に残るのは、地元の銀行や病院に勤める3人だけ。進学に就職に、57人は桜がほころびかけるころ、島を後にする。親しんだメロディーを心の糧に-。

霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が見えるかもしれない
小さな子供にたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今 瞳を閉じて
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私もまた故郷に帰りたくなりました。