何故ならば、凡夫が理解しているのは、どんなに努力してもどんなに頭がいいと思っていても、どんなに地位や名誉や財を得ても、今世には死が必ず待っているという事ぐらいしかないはずです。
どれだけ楽観的な人でも、其れだけ自分の死の問題を背けて生きている。これは、はっきりいえるわけです。自分の第一等大事な問題に取り組まないで、人生を終ってしまった凡夫が殆どであったでありましょう。罪の大きさを身に沁みて感じた悪人程、親鸞聖人の意図が見えてくるものでないでしょうか?
歎異抄第三条善人におもって往生をとぐいわんや悪人をや まさしくこの言葉が銘文なのです。
小さくいっても、自分の実態を見極めなくて、他人のどうこうを論じても無意味どころか何度も地獄に堕ちるしかないといったところなのです。