近時代の疎かな裁判 判例と自白のみ徹した盲目審議 | 日記
前回書いた大阪放火殺人についての意見に際し、『よく解らない』という意見がありましたので、ザッ

クリとした経緯とそれに対する論評を見つけたので載せておきます。




放火殺人再審 捜査と裁判への警鐘だ(3月9日)

 保険金を目当てにわが子を殺害したとされる大阪の「放火殺人事件」で、無期懲役が確定した母親ら2人について大阪地裁が再審開始の決定を下した。

 犯行に結びつく物的証拠がなく、捜査段階での2人の供述が確定判決の唯一の根拠となっていた。

 地裁は弁護側が新証拠として提出した火災再現の実験結果を吟味した上で、供述に不自然な面があると指摘。捜査官が誘導した可能性にも言及し、その信用性を否定した。

 検察側は決定を不服として大阪高裁に即時抗告する方針というが、確定判決の最大のよりどころが根底から崩された意味は重い。

 ここは決定に従い、再審の場であらためて審理をやり直し、真実を明らかにするのが筋ではないか。

 事件は1995年7月に大阪市東住吉区で起きた。住宅が全焼し、入浴中だった当時11歳の長女が焼死した。警察は50日後、母親と同居の男性が共謀して長女の保険金を目的に放火したとして2人を逮捕した。

 2人は乱暴な取り調べで虚偽の自供を強いられたとして公判で無実を訴え、事故の可能性を主張したが、一審は「短絡的で自己中心的な犯行で残虐冷酷極まりない」と断じ、2006年に無期懲役が確定した。

 しかし、弁護側が行った火災実験が供述の矛盾をあぶり出した。

 確定判決は、男性がガソリン7リットルを車庫にまいてライターで火を付けたとしている。実験では点火直後に猛火に包まれ、男性がやけどをしなかったのは不自然だとわかった。

 地裁もそこに注目した。漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火した可能性にも触れ放火に疑問を呈した。

 地裁はまた供述内容の度重なる変遷も重視し、犯行動機に関しても「わが子を殺すという重大犯罪に及ぶものとしては飛躍があり、不自然な感は否めない」と指摘している。

 確定判決と比べて、供述の解釈がこれほどまでに違うことに驚かされる。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則がいかに大切かをあらためて思い起こさせる。

 再審開始決定は、自白偏重の捜査について、捜査側だけでなく、そこに頼りがちな裁く側をも厳しく戒めたものと受け止めるべきだろう。

 再審の扉を開けるのは至難の業だ。弁護側が確定判決を覆す新証拠を見つけるのは容易ではない。

 捜査側と裁く側に真摯(しんし)な姿勢が求められるのは言うまでもない。誤判や冤罪(えんざい)があってはならないのだ。

 だが、再審開始決定や再審請求が続く現状を見るにつけ、不安を禁じ得ない。法と証拠に基づいた厳格な捜査と審理という基本が、おろそかになってはいないだろうか。