「水屋敷と言うのは、「水のさづけ」を天理教祖から頂いた「飯田岩次郎」氏が、自分の屋敷は「こうずい屋敷」として天理教祖から許されたものだとして、地場は「ひのもと庄屋敷」、こちらは水屋敷、火は水をかければ消えるから、水は日に勝る。 と、して、天理教祖の死後に、こちらが正統であるとして、説いた異説とされている。 そして、当時、数々の奇跡的霊救が起き、水屋敷の信者は膨大な数になった。 その水屋敷の、参謀格を勤めたのが、「上田善兵衛」と言う人物で、この上田善兵衛氏は、「北分教会麹町支教会・初代会長」である。
上田善兵衛の養子(加賀美)、この人が、麹町の久保冶三郎を手引した人物であって、水屋敷事件の時に、久保家は、信仰を断念しようとしたが、 北大教会初代の茨木基敬(後に茨木事件を起こす)に、上田善兵衛の離脱の後始末を依頼されて、3年と言う条件で、茨木基敬の下に入り、実質麹町を久保家が継いだ。 関根豊松氏は、その麹町の久保家に住み込み、天理教に入信している。
久保冶三郎の入信は、陶宮術の仲間から誘われたものである。 久保冶三郎氏は易の九星術・陶宮術を学んでいた。 家康を支えた、大僧正天海の用いた占い術として知られている。明治に一時盛んであったと言う。 その、占いよりも、天理のほうが当たると言う事が、入信のきっかけと伝えられる。
麹町初代を、引き止めた北大教会初代、茨木基敬を導いたのは、泉田藤吉さんです。泉田藤吉→茨木基敬→上田善兵衛→久保冶三郎→関根豊松。泉田藤吉さんは、おたすけの名人といわれて人。 泉田藤吉→中川よし→八島よし→八島英雄。奇跡的なおたすけと言うものは、こうしたライン上にある。 そして、異端も、そのライン上に、登場する。 茨木さんは、もともと記紀(古事記・日本書紀)の、復古という思想で天理教の教理を説いた。 その一方で、泉田藤吉仕込のおたすけを指導し行わせた。 神道の資格もいち早く取得した、才覚のある人で、神道色の強い思想と言う事ですね。 天啓そのものは、当時の高弟たちは、かなり、神がかり的な発声でお告げをつげるような語り方していたようですから、それらしく、あったのだろうと思います。 実際に、頭の中で、声がしていたと、本人は語っていたようです。 周囲が、本席の後継者として、また、実績の上では高いのに評価がされていないとして、反真柱思想で祭り上げたと言う事でしょう」。 |