給 言

「マルクス」と「クロポトキン」とを墨守する者は革命論においてローマ法皇を奉戴せそとする自己矛盾なり。英米の自由主義がおのおのその民族思想の結べる果実なるごとく、独人たる「マルクス」の社会主義露人たる「クロポトキン」の共産主義が幾多の相異扞格せる理論をもって存立することはおのおのその民族思想の開ける花なり。その価値の相対的のものにして絶対的にあらざるは勿論のこと。

ゆえに強いてこの日本改造法案大綱を名づけて日本民族の社会革命論なりという者あらばはなはだしき不可なし。しかしながらもしこの日本改造法案大綱に示されたる原理が国家の権利を神聖化するを見て「マルクス」の階級闘争説を奉じて対抗し、あるいは個人の財産権を正義化するを見て「クロポトキン」の相互扶助説を戴きて非議せそと試むる者あらば、それは疑問なく「マルクス」と「クロポトキン」の智見到らざるのみと考うべし。彼らは旧時代に生れその見るところ欧米の小天地に限られたるのみならず、浅薄極まる哲学に立脚したるがゆえに、躍進せる現代日本より視る時単に分科的価値を有する一に先哲に過ぎざるは論なし。過去に欧米の思想が日本の表面を洗いしとも今後日本文明の大波濤が欧米を振憾するの日なきを断ずるは何たる非科学的態度ぞ。「エジプト」「バビロン」の文明に代りてギリシア文明あり。ギリシア文明に代りてローマ文明あり。ローマ文明に代りて近世各国の文明あり。文明推移の歴史をただ過去の西洋史に認めてしかも二十世紀に至りてようやく真に融合統一したる全世界史の編纂が始まらんとする時、ひとり世界史と将来とにおいてのみその推移を思考するあたわずとするか。インド文明の西したる小乗的思想が西洋の宗教哲学となり、インドそのものに跡を絶ち、経過したる支那またただ形骸を存してひとり東海の粟島に大乗的宝蔵を密封んたるもの。ここに日本化し更に近代化し世界化して来るべき第二大戦の後に復興して全世界を照す時往年の「ルネサンス」何ぞ比するを得べき。東西文明の融合とは日本化し世界化したるアジア思想をもって今の低級なるいわゆる文明国民を啓蒙することに存す。

天行健なり。国は興り国は亡ぶ。欧州諸国が数百年以上に「ジンキス」汗「オゴタイ」汗ら蒙古民族の支配を許さざりしごとく、「アングロサクソン」族をして地球に濶歩せしむるなお幾年かある。歴史は進歩す。進歩に階梯あり。東西を通じたる歴史的進歩においておのおのその戦国時代につぎて封建国家の集合的統一を見たるごとく、現時までの国際的戦国時代につぎて来るべき可能なる世界の平和は、必ず世界の大小国家の上に君臨する最強なる国家の出現によりて維持さるる封建的平和ならざるべからず。国境を撤去したる世界の平和を考うる各種の主義はその理想の設定において、これを可能ならしむる幾多の根本的条件すなわち人類がさらに重大なる科学的発明と神性的躍進とを得たる後なるべきことを無視したるもの。全世界に与えられたる現実の理想は何の国家何の民族が豊臣徳川たり神聖皇帝たるかの一事あるのみ。日本民族は主権の原始的意義、統治権の上の最高の統治権が国際的に復活して、「各国家を統治する最高国家」の出現を覚悟すべし。「神の国はすべて謎をもつて語らる。」かつてとるこの弦月旗ありき。「ヴェルサイユ」宮殿の会議が世界の暗夜なりしことはそれを主裁したる米国の星旗が黙示す。英国を破りてとるこを復活せしめ、インドを独立せしめ、支那を自立せしめたる後は、日本の旭日旗が全人類に天日の光を与うべし。世界の各地に予言されつつある「キリスト」の再現とは実に「マホメット」の形をもってする日本民族の経典と剣なり。

日本国民は速かにこの日本改造法案大綱に基づきて国家の政治的経済的組織を改造しもって来るべき史上未曽有の国難に面すべし。日本はアジア文明のギリシアとしてすでに強露ぺルシャを「サラミス」の海戦に砕破したり。支那・インド七億民の覚醒実にこの時をもって始まる。戦なき平和は天国の道にあらず。


大正八年八月稿於上海

北 一輝