テレビを見ていて、キリンビールのCMが流れると祖父を思い出す。
母方の祖父だ。私は幼い頃から母方の祖父母と両親と兄一人で暮らしている。父方の祖父もいるが、私が小学1年生から2年生に上がる際に他界しており、思い出はさほど多くなく、「祖父」と言うと母方の祖父となる。今後、このブログで「祖父」と言うと母方の祖父となるので、覚えておいて欲しい。(祖母も同様。父方の祖母は私が物心付かぬ内に乳癌で他界。)

祖父は諏訪の原村の生まれだ。あまり自分の昔のことは話さない人であった。幼い頃は戦争を経験したはずであるが、詳しくは聞いていない。飼っていたニワトリを「潰して」食べた話くらいしか聞いていない。幼い私には強烈な話ではあったが、よく考えればそのほうが自然であり、今のように屠殺済み、解体済みの肉がパックに詰められて綺麗に並んでるほうがよっぽど異常だ。馬を飼っていた話も聞いた。祖父の言うには、馬は頭が良く、畑と家の道をすぐに覚えてしまうらしい。

祖父は15で東京に働きに出た。次男坊の為に家を継げず、田舎には働き口がなかったためだとは思うが、ここら辺の事情もあまり話してはくれなかった。
東京ではたくさん苦労したらしい。どうやらギャンブルで大損したか、大損した人を間近で見たかでギャンブルは全くやらない。

サラリーマンを辞めたあとは海苔屋(茶も売るが、これは海苔と茶の旬の問題であるので割愛)を営んでいた。最も儲けた時には正月に店のシャッターを下ろしていても茶を求めにシャッターを叩く人がいたり、毎月三日の大売り出し(商店街のほとんどの店が同じ日に大売り出し)には列さえ出来たらしい。そんな店を夫婦二人で切り盛りし、息子二人と娘一人を私立の高校に通わせ、次男には大学まで行かせたのだから大したものだ。母はそんな両親にかなり甘えていたとはいうが。バブリーな時代に青春を迎えた母は「今になって両親のありがたみが分かった」と祖父母のいないところで私に厭味のように言っている。

そんな祖父だが、ビールはキリンしか飲まない。特にキリンのラガービールと一番搾りが好きで、350mlの缶を飯時に飲んでいる。私にはキリンのラガービールは「おじいちゃんのビール」なのだ。今でもスーパーでキリンラガーを見ると祖父の顔が思い浮かぶし、キリンのロゴマークでも思い出す。私の父、母や祖母が他のビールでも、ラガービール。頑固だ。

祖父は今年で80になる。そんな老体でも未だに海苔屋を経営しているし、最近では近くの小中学校の制服の採寸や体操服の販売も請け負っている。元気とは言いがたく、昨夏は持病の糖尿病のためにインスリンを注射した後に食欲が進まずに寝たためにインスリン異常を起こして病院に運ばれたし、歩くのにも杖が必要だ。出来れば無理をしてほしくないが、もし祖父が海苔屋を辞めたら、生きがいなど無くなるのではないか。

祖父もあまり長くはないだろう。祖父の人生だ、祖父の満足の行くように最期を迎えてほしい。