クリスチャンならば携挙してもついてこれるんじゃないのか? その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

さて、天使が地球人を携挙するのに、
「クリスチャン、キリスト教徒ならば携挙してもいいんじゃないか?」
という意見を言う人がいた。
「クリスチャンならば聖書を読んでいるし、聖書にも詳しい。キリスト教の教義の最後の審判やらイエスの再臨、義人の携挙(ラプチャー)などを信じている。
だから、天使が地球人を何百人か千人くらい連れて帰りたい、と思ってもクリスチャンならば天使の惑星での生活にも馴染めるんじゃないだろうか?
とりあえずクリスチャンを選んで連れて帰ったらどうだ。」
というのだ。
あるいは既に天使も「クリスチャン限定」で携挙を試みたかもしれない。


それで、「クリスチャン限定で携挙を試みた」という想定で、

「もし、クリスチャンを携挙したならばどうなるだろうか」、
ということを考えてみよう。


そうすると、天使としてはやはりキリスト教徒が多いヨーロッパかアメリカで試してみる、となるだろう。
例えば、カトリックの本場、ローマの総本山のバチカンのサンピエトロ大聖堂の前の広場にUFOが降りていったらどうだろうか?
と考える。
だが、ただUFOが天から降りて来て、広場に着陸してドアを開けても、誰も自分から乗り込まないのではないか?
と思われる。
というのは、クリスチャンといっても、それが「携挙だ」とは思わないだろうからだ。
クリスチャンは、実際に聖書を与えて人類を導いてきた天使やイエスが実は天使的未来人だとは思っていない。

イエスの再臨や携挙にしても中世に描かれたフレスコ画の宗教画のような漠然としたイメージしか持っていない。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」のような情景を想像しているのではないだろうか?
あるいは、映画「レフトビハインド」のように、義人が忽然と姿を消す、とか、義人だけがそのままの姿で天に昇って行く、とか、そういうものを想像している人もいるかもしれない。


とにかく「天からUFOが降りて来て、ドアが開いて、義人が自らそのUFOに乗り込んでいって、義人が乗り込んだらドアが閉まり、UFOは再び空高く飛び去って行っていってしまう」
というような光景を予想、想像しているクリスチャンはほとんどいない、と思われる。

だから、ただUFOが降りて行ってドアを開けても、そこに乗り込んでいくクリスチャンはまずいないだろう。
だが、また集団催眠をかけて、という方法を取るのもまずい。
できればクリスチャンが「これが携挙だ」と思って自ら乗り込むようにしたい。

そこで、天使は考えた。
「そうだ、イエスの再臨のようなホログラムを見せて、イエスの再臨と携挙が起きた、と思わせればいいんじゃないか」
というのだ。


つまり、イエスが天から降りて来る、という幻影をホログラムで見せるのだ。
といってもやはり宗教画に書かれてあるような姿をしたイエスだ。
それに聖母マリアやら天使もイエスにつき従っている。
というまさにミケランジェロの「最後の審判」そのままの幻影をホログラムで作ってサンピエトロ大聖堂の前の広場にいる群衆に見せるのだ。
そこには観光客もいるだろうが、ほとんどは敬虔なクリスチャン、特にカトリック教徒が多いだろう。
彼らはミケランジェロの「最後の審判」のフレスコ画を見たか、当然知っているだろうから、それと同じ情景をホログラムで見せたら、
「あっ、イエス様が再臨してきた。最後の審判と携挙が始まるぞ」
と思うだろう。


それに、そのイエス様らしき男の声で、
「わが子らよ。間も無く艱難が始まるから迎えに来たぞ。
今から天から迎えの船を下ろすから、助かりたい者は乗り込みなさい」
とかいう言葉をスピーカーで流せば、クリスチャンは、
「携挙が始まった。迎えの舟に乗らないと助からないぞ」
と思い込んで我先にUFOに乗り込むだろう。

また、枢機卿などの高位の者も出てくるだろう。
単なる観光客も相当数いるだろうが、クリスチャンが我先にとUFOのドアめがけて殺到すると、集団真理も働いて、よく解らないが

「皆乗り込んでいるんだから、とにかく一緒に乗り込もう」
と思い、広場にいた人達は皆UFOに吸い込まれていく。

中には「アレッ、UFOなの?」
あるいは、
「俺は単なる観光客で別にクリスチャンでもないんだけども、一緒に救われてもいいの?

でも、いいや、ラッキー」
と少しは疑問に思った人もいるかもしれないが、UFOの中では、
「携挙っされた。救済されたんだ」と思って、感極まって泣き出す人もいて皆興奮状態なので

「とにかくついていった方がいいだろう」
と思うだろう。