「イエスが弟子のペテロに天国の鍵を授けた」という話自体が無効だった。その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日、
>「イエスがペテロに天国の鍵を授けた」、という話そのものを否定し、無効にしてしまう、という荒療法はどうだろうか?
聖書の他のどこかに、「こういう記述はありますが、実はこの話は無効なんですよ。なかったことにして下さい」、
という記述を入れておいたら、さすがのカトリックも引っ込むんじゃないだろうか?
と考えて、そういう仕掛け、トリックを聖書の中に仕込んでおくことに決めたのである。


と書いたが、今日からは、これについて説明していこう。

カトリック、ローマ法王が、
「自分達こそがイエスから権能を預託された者であり、イエスの正規の代理人である」
と主張している根拠となる記述は、


16:13イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
16:14彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
16:15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
16:20そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
(マタイによる福音書)


である。
この19節に「イエスがペテロに天国のかぎを授けた」と書かれてある。
特に問題となる記述をバイオレットの字体にした。
この「天国のかぎ」については、6月9日の記事で


>「天国の鍵」とは、「天国の門を開ける権利」を意味し、
「自由に天国に出入りできる通行証、パスポート、天国に入れる為の許可証、などの象徴、暗喩である」、と考えられる。
ペテロは天国の鍵を受け取り、所有しているのだから、
「ペテロは天国の門を開ける権利を持っている」となり、
更に「ペテロに従って行けば天国に入れる」と考えるに及び、
「ペテロは(我々信者とイエスを結ぶ)仲介者である」と見なされるようになった。
「イエスは、天国の鍵をペテロに授けた」、というのは、
「イエスは権能をペテロに預託した」
と解釈できる。
つまり、「ペテロこそイエス自身が指名した(イエスの)正規の代理人、後継者である」
というのだ。
そして、ペテロを初代ローマ法王とするローマカトリックでは、
「代々の法王がその鍵(権能)を受け継いでいる」、
として、カトリックは自分達の存在意義と権威の由来、根拠をここに求めている。


と説明した。
ローマカトリックはこう解釈していて、その信者も「そうだ、その通りだ」
と信じている。
カトリック教徒は、「ローマ法王はイエスの正規の代理人である」と信じているから、あれ程熱狂的にローマ法王を崇拝しているのだ。

カトリックとローマ法王にとっては、ここは聖書の中で「最も大切な記述」である。
この記述が無かったならば、「これまでのカトリックもローマ法王も存在していなかった」と言ってもいい。


ところで、イエスの生涯とその言動を記録した「福音書」というのは、新約聖書の初めに置かれているが、
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書と四書ある。
これ以外にも「○○○による福音書」というのはいくつか存在するが、正典に含まれているのはこの四書であるから、正典に限って考えていこう。
これらの四福音者の成立過程については、いろいろ研究されているが、信者にとっては、「正典と見なされている聖書」が聖書であり、「そこに何が書かれてあるのか」が問題である。


では、他の福音書では、ここに相当する部分はどのように書かれてあるのだろうか?
四福音書の中で最も早く成立したと考えられているマルコによる福音書を調べてみよう。


8:27さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。
8:28彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります」。
8:29そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。
8:30するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。



「えっ、これだけ?
イエスがペテロに天国のかぎを授けた」
という肝心の記述が無いじゃん。
あの記述はどこにいったの?
マルコさんったら忘れちゃったの?」
となる。
ローマカトリックが一番重要視している記述、先ほどのマタイでピンクの字で載せた記述、


>16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。


の部分がすっぽりと抜け落ちているのだ。
では、ルカによる福音書ではどうなのだろうか?
というと、


9:18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが近くにいたので、彼らに尋ねて言われた、「群衆はわたしをだれと言っているか」。
9:19彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。しかしほかの人たちは、エリヤだと言い、また昔の預言者のひとりが復活したのだと、言っている者もあります」。
9:20彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「神のキリストです」。
9:21イエスは彼らを戒め、この事をだれにも言うなと命じ、そして言われた、


これもマルコ同様に、この部分がすっぽりと抜け落ちている。
「あれっ、ルカさんも忘れちゃったの?
ちょっと待ってよ。
あの記述って、カトリックにとっては一番大事な記述でしょう。
それをマルコさんもルカさんも忘れちゃっている、ってどういうこと?
大事な話ならば忘れるはずはないのに。
おかしくない?
ひょっとして、もしかして、イエス様はあのことを本当は言っていなかったとか、
マタイさんが捏造して付け加えたとか?
まさかね。」
なんて疑いも湧きそうである。


では、ヨハネによる福音書はどうか、というと、はっきりとこれに相当する記述はない。
結局「イエスがペテロに天国のかぎを授けた」という記述は四福音書の中でマタイにしかない。
他の三福音書には載っていないのである。
これは何を意味するのだろうか?