天使は、イエス~ペテロ~ローマ法王と権能がバトンタッチされていくように見せかけた。その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

浅利幸彦の預言解読講座

預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

昨日は、
「ヨハネの黙示録11章で預言されている二人の証人とはペテロとパウロではない」
と解説したが、これはある重大な意味を持っている。


特にペテロの方である。

イエスは昇天から再臨までの期間中に、二人の証人、二人の使者を地球に派遣して地球人を探らせるのだが、この二人はソドムの話でも説明したように、
主=イエスから全権、全権能を預託されて派遣されるのである。
「イエスの正規の代理人である」と言っていい。


ところが、一般には、特にカトリックでは、「イエスの正規の代理人は、ペテロである」とされているのだ。
その根拠は次の記述にある。


16:15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
(マタイによる福音書)


ここで、イエスはペテロに「天国のかぎ」を授けた。
この「天国のかぎ」というのは、何を意味しているのだろうか?


「天国の鍵」とは、正しくは「天国の門の鍵」という意味である。
天国というのは、ヨハネの黙示録では「新しいエルサレム」と表現されているが、城壁で囲まれている。
昔の町というのは敵の侵略から防衛する為に城壁で囲まれていた。
町に入る為にはいくつかある門からでないと入れない。
また、イエスは「私は門である」と言った。
これは「私=イエスを介してでないと天国には入れない」という意味だ。

城壁をよじ登って侵入しようとするのは泥棒か強盗=サタンである。
正規の入り口である門は夜間は閉じられていて鍵がかけられている。
門を開ける為には鍵で門を開けなければならない。
また、敵に「門の鍵を渡す」とは「町を明け渡す、降伏する」という意味になる。


「天国の鍵」とは、「天国の門を開ける権利」を意味し、
「自由に天国に出入りできる通行証、パスポート、天国に入れる為の許可証、などの象徴、暗喩である」、と考えられる。


ペテロは天国の鍵を受け取り、所有しているのだから、
「ペテロは天国の門を開ける権利を持っている」となり、

更に「ペテロに従って行けば天国に入れる」と考えるに及び、

「ペテロは(我々信者とイエスを結ぶ)仲介者である」と見なされるようになった。


「イエスは、天国の鍵をペテロに授けた」、というのは、
「イエスは権能をペテロに預託した」
と解釈できる。
つまり、「ペテロこそイエス自身が指名した(イエスの)正規の代理人、後継者である」
というのだ。

そして、ペテロを初代ローマ法王とするローマカトリックでは、
代々の法王がその鍵(権能)を受け継いでいる」、
として、カトリックは自分達の存在意義と権威の由来、根拠をここに求めている。


イエスの権能はペテロの死後、カトリックに引き継がれているので、
教会についていけば天国に入れる」、とカトリックの信者は考えている。
カトリックの側から言うと、
自分達がイエスの正規の代理人、仲介者なのだから、カトリックに入信しないと天国には入れない。天国に入りたければカトリックに入信しなさい
となり、布教の大義名分になっている。


ただし、その鍵(権能)というものが、代々のローマ法王に引き継がれていけるものなのだろうか?
という疑問はあるが。


とにかく、ローマカトリックの解釈としては、
権能はイエス~ペテロ~代々のローマ法王、の流れで引き継がれている。
だから、ローマ法王こそイエスの正規の代理人である

としている。
そして、世界中に何十億人といるカトリック信者はこの解釈を信じている。
だから、ローマ法王をイエスの如く崇拝しているのだ。


しかし、昨日から説明している話だと、
イエスが権能を預託した者、イエスが指名した自分の代理人、後継者とは、
「ヨハネの黙示録11章で預言されている二人の証人」
であるはずだ。

二人の証人というのは、二人の人間であり、教会、宗派という集団、組織ではない。
また、ローマ法王のように何百年間に何百人も引き継がれていくものとは根本的に違う。


これはおかしい。矛盾している。
イエスの正規の代理人はローマ法王なのか?それとも二人の証人なのか?
どちらかの解釈が間違っている、ということになる。
では、どっちが違っているのだろうか?


私は「ソドム、エリコを予型としている黙示録の二人の証人の解釈」は絶対の自信があるので、これは間違っていない、と思う。


となると、「イエスの正規の代理人はペテロである。イエスはペテロに権能を預託した」
という解釈の方が違っているのではないか?
と思える。

それに、百歩譲って「ペテロがそうだ」、としても、「その鍵、権能を代々のローマ法王が引き継いでいる」、
とする考え方にはどうも納得できない。


ローマ法王というのは、コンクラーベで選出されただけのただの人間であり、特別な能力を持っている、とは思えない。
ローマカトリックという組織の長、最高指導者、象徴にしか過ぎない。


歴代のローマ法王の中には、確かに人間的に優れた法王もいた。

だが、全ての法王がそうだ、とは言えない。

玉石混交である。