ヨハネの黙示録11章で預言されている「二人の証人」とは誰と誰なのだろうか? その2 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

私は、1999年に徳間書店から出版した
ノストラダムスは知っていた


で、聖書の基礎であるモーセ五書とヨシュア記を解説した。
そこで、エリコ攻略を取り上げて、
ヨシュアがエリコを探る為に派遣した二人の使者とヨハネの黙示録11章の二人の証人とはイエスとノストラダムスである
と結論づけた。

それは、
聖書とノストラダムスの作品こそが天使が遺した本物の預言書で、これらに救済方法が書かれてあるから、これらの預言書の真意を理解しないと救済されない
と考え、
それで、聖書の代表としてイエス、ノストラダムスの作品の著者としてノストラダムス、この二人を「二人の証人=二人のメシア」と考えたのである。


しかし、この本を出版した何年か後になって、「この説は違うのではないか?」
と考えるようになった。
私とて途中で解釈が変わっていくことがある。

どう変えたのか?
というと
一人がノストラダムスなのはいいが、もう一人はイエスではない
と考えるようになったのである。

「イエスではない」という理由は二つある。


一つは、エリコ攻略の話だが、ヨシュアはヨルダン川の東側、カナンの地の外側にいて二人の斥候(スパイ)を派遣した。
これは、イエスは宇宙にいて二人の使者を派遣した、という意味である。
二人の斥候はヨシュア=イエスとは別人である。

ヨシュアも分身の術でも使わない限り、同時に宇宙と地球に存在はできない。


だから、黙示録11章の二人の証人=ヨシュアがエリコに派遣した二人の斥候、と考えると、

「この二人の斥候はイエスとは別人だ」、と考えなければ辻褄が合わなくなる。

それと、もう一つの理由は、ヨハネの黙示録の記述そのものにある。
ヨハネの黙示録とはイエス本人の言葉である。


11:3そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。

この「わたし」とはイエス自身である。
ここでイエスは、
私(イエス)のふたりの証人に~預言することを許そう
と言っているので、この「二人の証人」とはイエスとは違う者だ、と考えなければ文脈が合わない。


どちらも、
天にいるイエス=宇宙で待機しているイエスが二人の証人を地球に派遣する。
という意味だと解釈できる。


つまり、

(天使軍団の総司令官、象徴としての)イエスは、宇宙で待機している天使軍団の本部にいて、そこから二人の使者を地球に送り込んで、彼らに地球人を探らせる。

その二人はテレパシーでイエスと直結している。

二人の使者が見て、感じたことはそのままダイレクトにイエスに送信されていて、また、イエスの指令はテレパシーによってダイレクトに彼らに送信される。


これは、イエス自身が地球に行って活動しているのとほぼ同じ状況ではあるが、この二人はイエスとは別人である。


と解釈した方が妥当である、と考えられる。