「この小さい者のひとり」とは、アブラハムに現れた「主と二人の御使い」のうちの一人だった。その1 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

マタイによる福音書25-40の記述 


25:40すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。


の中の
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとり」
とは、誰を指しているのだろうか?
という問題の答えのヒントは、
同じマタイによる福音書の10-42の後半の文、

この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。


に隠されてある、と解った。
では、「この文単独で」考えていこう。


この中の
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者

というのは、いったい誰を指しているのだろうか?
というと私は、アブラハムを暗示している、と考える。
アブラハムの話がこれの伏線になっているのだ。
主がアブラハムの前に現れた時の状況を描写した記述を読んでみよう。


18:1主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、
18:2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、
18:3言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。
18:4水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。

(創世記)


ここで、主は、二人の御使いを伴って、三人でアブラハムの前に姿を現した。
この中の
18:4水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。

というさりげない記述が問題の記述だ。


これが、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者

の伏線になっている。

「昼の暑いころで」
とあるので、旅人ならば喉も渇いていただろうし、足も汗と埃で汚れていたはずだ。
冷たい水で喉を潤して足を洗って木陰で休めばリフレッシュするだろう。
冷蔵庫のなかった時代だから、汲み置きの水は直ぐに温くなってしまう。
「冷たい水」というのは、「泉から湧き出ている水」しかない。
「水をすこし取ってこさせますから」
というのは、「泉の水を取ってこさせますから」という意味だ。
パレスチナ、ユダヤのような暑い乾燥した地域では「泉から湧き出ている冷たい水を差し出す」、ということが最上級のもてなしなのである。
アブラハムは更に急いでパンを作らせて、柔らかな良い子牛を屠って調理させて三人に提供した。
考えうる最上級のもてなしをしたのである。


アブラハムはこの三人の旅人が主と二人の御使いだと判ったからこのようなもてなしをしたのだろう。
アブラハムは主と二人の御使いをもてなした、という行為によって、主から祝福されて大いなる民の祖となるという「報い」を受けたのである。


つまり、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。


「この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者」とはアブラハムを暗示しているのだが、これは、


「アブラハムのように、主と二人の御使いを正当にもてなした者は、決してその報いからもれることはない」
という意味だと解釈できる。


しかし、これでも不十分だ。
「この小さい者のひとりに」という文があるからだ。
これは何を意味しているのだろうか?
アブラハムがもてなしたのは「主と二人の御使い」の三人である。
しかし、「この小さい者のひとりに」とあるので、


「その三人の中の小さい者のひとり」となる。
「三人の中の一人」に絞り込まれて限定されているのだ。
これは誰を指すのだろうか?
この者を特定することが重要なポイントになる。


「小さい者」というのは本来は「子供」を指す言葉である。
ただし、比喩として、
弱い者、困窮している者、貧しい人達、病気の者、障害者、差別されている人達、助けを必要としている人、などの社会的弱者を指している。
謙虚な者、尊大ぶらないで自分を低くする者を指している。

と解釈する場合もある。


しかし、主と二人の御使いは「裁き人」として来ているのだから、これらには当てはまらない。

従って、この場合は本来の意味である「子供」という意味で使われている、と考える。


また、「子供」と言っても「子供一般」を指す場合と、、「親と子」の親子関係の子の方、を指す場合があるが、

主と二人の御使いは、子供ではなくて大人である。

となると、

「親と子」の親子関係の子の方、を指している、としか考えられない。


主、創造主、神というのは、「父なる神」というように父に喩えられるので、「小さい者=子供」が主(神)を指している、とは考えられない。
まず、主は除外される。
となると、「二人の御使い」のうちのどちらか一人、と推測される。

この、「二人の御使い」のうちのどちらか一人、が「小さい者=子」と表現されているのだ。

では、どちらなのだろうか?