艱難期が始まる前に携挙は終了してしまう。 | 浅利幸彦の預言解読講座

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預言書(主に聖書とノストラダムス)を解読して未来を明らかにしていきます。
未来において艱難が起きますが、その前に天使軍団(天使的未来人)による義人救出=携挙、が行われる、と預言されています。

さて、このノストラダムスが艱難期前携挙説を指示した記述をもう一度調べてみよう。


地獄の王サタンによってあまりにも多くの悪が成されるので、ほとんど全世界が破壊されて荒れ果てるでしょう。

その前に、異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。
(ノストラダムス アンリ二世への手紙、より)


実は、ここに、もうひとつ重要な意味を持っている言葉がある。
それは、


>その前に、異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫びますが、しばらくすると消えてしまいます。


の中の


>しばらくすると消えてしまいます。


という記述だ。


これは、その異様な鳥たちが「今だ、今だ」と空で叫ぶ期間というのは「しばらく」の期間であって、その後では消えてしまう。
という意味だ。
つまり、天使のUFOが義人を迎えに来て救出する期間というのは、「あるごく短い期間」だけに限られている、

というのだ。
まあ、その「しばらく」というのが数日間なのか、数ヶ月間なのかはこの記述だけからでは判らないが。
ただ、


その鳥(天使のUFO)は地獄の王サタンが来る前に消えてしまう、と
考えられるので、携挙というのは、サタンが来る前に終わってしまう、と考えるべきだろう。


これは、重要な意味を持っている。
これは、「艱難期が始まってから携挙があると考えている人達」、つまり、

「艱難期中携挙説と艱難期後携挙説の支持者は携挙にあずかれない」、ということを意味しているからだ。


「艱難期が始まってから携挙がある」と考えている人達は、「艱難が起きることが携挙の前兆になっている」と思っている。
だから、「携挙は艱難が始まってから考えればいいさ」、
と甘く考えているか油断している。


しかし、艱難期前携挙説が正しかった場合は、携挙は艱難が始まる前に終わってしまう。


艱難期に入った時点で携挙は終了してしまう。
「携挙は艱難が始まってから考えればいいさ」
という甘い考えは通用しない。

つまり、艱難期に入り、過酷な状況になってから
「イエス様どうか迎えに来て下さい。
私を憐れんで助けて下さい」
といくら祈ったところで誰も助けに来てくれない。
ただ、サタンの餌食になるしかないのだ。


つまり、携挙にあずかる為には、艱難が始まる前、まだ何も起きていない時に既に携挙の予定期間も携挙の方法も、これらを事前に正しく理解していなければならない。
これらを事前に理解できていた者しか携挙にはあずかれないのだ。


では、一般の人達はそれを誰に教えてもらえばいいのだろうか?
いわゆるクリスチャンと呼ばれる人達というのは、どこかの教会かキリスト教の宗派に入っているだろう。
そういう人達というのは、ローマ法王などの教会の指導者や、通っている教会の神父さんや牧師さんが事前に教えてくれるのではないか?
と期待している、というか当然そうだろう、と思っている。
だから、献金などをしているのだろう。


しかし、はっきり言って、教会の指導者や神父さん、牧師さん達は教えてくれないだろう。
彼らにそれを期待しても無理だ。
というのは、教会や神学者、神父さんや牧師さんは聖書しか読んでいない。
もうひとつの預言書であるノストラダムスは読んでいない。
ノストラダムスなんてまるっきり無視している。
それどころか「ノストラダムスなんて、世の人々を惑わすインチキ予言者だ、トンデモだ」
と考えている。


ところが、携挙の予定期間や方法は具体的にはノストラダムスの作品の方に書かれてある。


新約聖書には、携挙に関することは沢山書かれてあるが、どれも抽象的で具体性に欠ける。
聖書だけを読んでいては、携挙の予定期間も解らない。
だから、教会は決して携挙の予定期間は解らない。
解らないのだから、それを信者に告げられる訳がない。


つまり、教会をイエスの代理人だと信じ、教会に頼っていた信者達は、携挙の予定期間も教えてもらえないで、その予定期間にイエスも呼ばないで、せっかくの救済を見過ごしていまうのである。
そして、艱難期が始まってからイエス様に「助けて下さい」
と祈ったところで、携挙の期間は過ぎてしまっているので誰も迎えに来てはくれない。
異様な鳥(迎えに来たUFO)は消えてしまっている。
鳥たちは既に帰ってしまったのだ。


そうなってから、いくら教会を責めたところでどうしようもない。
自分が勘違いしていた、自分が預言書の真意を理解できなかったから救済を見逃してしまったので、自分の責任である。


また、クリスチャンが解っていないのは、携挙の予定期間だけではない。
携挙の実態についても解っていない。

「イエスが天使達を引き連れて天から降りて来て義人を引き上げる」
といっても、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」の絵のようなものを想像しているのではないだろうか?
あるいは、義人達の姿が突然消えてしまう、とか、アセンションがどうの、と言っていた人達のように、次元上昇した霊の体になって、とか、光り輝く霊体になって天に昇っていく、とかいうように幻想的?に考えているのだろうか?


だが、実際の携挙というのは、天使が差し向けたUFOが空から降りて来て、義人を乗せてまた空に帰っていく、という非常に現実的な状況(?)で行われるのである。


しかし、ほとんどのクリスチャン、自称キリスト教徒というのは、携挙がUFOによって行われる、とは想像もしていないだろう。
となると、UFOが携挙に来ても乗る訳がない。
「何か変なUFOが突然来たけど、誘拐、拉致しにきたんじゃないか?」
と思って逃げてしまうだろう。


たとえ、現実の携挙=天使のUFOが天から降りて来て義人を乗せて飛び去っていった、という光景を目の当たりで見たとしても、「それが携挙だった」、とは解らないだろう。


つまり、自称クリスチャンというのは、携挙の予定期間もその方法、実態も何も解っていない。
これでは携挙にあずかれる訳がない。

それまで、聖書を読み、教会に言って聖職者の説教を聞き、神かイエスかマリアの像に祈りを捧げてきたことが全て無駄になってしまう。

彼らは最後の最後まで「自分達が根本から勘違いしていた」と解らないままサタンの餌食になっていくのだ。