最近、知らない人と話すのはあいかわらず得意ではないけれど、嫌ではないかもしれないと思うようになった。
学校や職場でも、そんなに相手をこき下ろすような人がいないし、こき下ろすような人は本当は自信のない人だとなんとなく分かって来たからだ。
自分が嫌い。自分なんか。とも思わなくなったのは、別に何ができてもできなくても、怖い目や恥ずかしい思いをすることはないと分かったらだと思う。
家でも、旦那も子供も私も、家庭以外の世界での嫌なことはほとんど話さない。
どうだった?と聞けば、
忙しかった。疲れた。楽しかった。その程度のなんでもない会話なんだけど、本当はそういうものなんだと思う。
誰かの機嫌が悪ければ、忙しいのかな、体調悪いのかな、眠いのかな、お腹空いてんのかな、と、放っておく。本当にその程度のこと。それが私たち一般市民の一般的なレベルなんだと思う。
小さな頃から、何かと劣等感と、また、逆の優越感とかそういう綱引きのようなものに掴まれていたし、そうすると人が本当に怖いか、バカみたいか、極端な見方をする。そうすると疲れるし、空っぽ。
父親はいつも周りの悪口とかしか言わなかったし、母も仕事や父の愚痴を言ってて、親戚のおばさんたちは今でいうとこのマウンティングを、子供の私が分かるほど露骨にやっていた。
親が誰かとくに親戚を褒めている様子をあまり見たことなかったな。褒めるとしたら嘘で裏が必ずあると思っていた。
自分の意見と違う人や不機嫌な人を理解したり気持ちを汲むとか分からなかったので、本当に人と話すのは、今思えば怖いことだったと思う。
人ってそんなに殺伐としてないんだな。むしろ、そこまで考えないし、マウンティングもしないし、大げさじゃなくてそれなりに助け合おうとするのが普通なものなんだな。
家庭は、外から持って来た悪口を言い合う場所じゃないんだなとも思う。
なんでもない、たまにお互いの考えの違いや機嫌の上下で喧嘩して仲直りするのが家庭なんだな。
家庭に限らないか、それが人間関係なんだな。
ぜんぜん怖くないし、疲れないな。
学校や職場でも、そんなに相手をこき下ろすような人がいないし、こき下ろすような人は本当は自信のない人だとなんとなく分かって来たからだ。
自分が嫌い。自分なんか。とも思わなくなったのは、別に何ができてもできなくても、怖い目や恥ずかしい思いをすることはないと分かったらだと思う。
家でも、旦那も子供も私も、家庭以外の世界での嫌なことはほとんど話さない。
どうだった?と聞けば、
忙しかった。疲れた。楽しかった。その程度のなんでもない会話なんだけど、本当はそういうものなんだと思う。
誰かの機嫌が悪ければ、忙しいのかな、体調悪いのかな、眠いのかな、お腹空いてんのかな、と、放っておく。本当にその程度のこと。それが私たち一般市民の一般的なレベルなんだと思う。
小さな頃から、何かと劣等感と、また、逆の優越感とかそういう綱引きのようなものに掴まれていたし、そうすると人が本当に怖いか、バカみたいか、極端な見方をする。そうすると疲れるし、空っぽ。
父親はいつも周りの悪口とかしか言わなかったし、母も仕事や父の愚痴を言ってて、親戚のおばさんたちは今でいうとこのマウンティングを、子供の私が分かるほど露骨にやっていた。
親が誰かとくに親戚を褒めている様子をあまり見たことなかったな。褒めるとしたら嘘で裏が必ずあると思っていた。
自分の意見と違う人や不機嫌な人を理解したり気持ちを汲むとか分からなかったので、本当に人と話すのは、今思えば怖いことだったと思う。
人ってそんなに殺伐としてないんだな。むしろ、そこまで考えないし、マウンティングもしないし、大げさじゃなくてそれなりに助け合おうとするのが普通なものなんだな。
家庭は、外から持って来た悪口を言い合う場所じゃないんだなとも思う。
なんでもない、たまにお互いの考えの違いや機嫌の上下で喧嘩して仲直りするのが家庭なんだな。
家庭に限らないか、それが人間関係なんだな。
ぜんぜん怖くないし、疲れないな。