結局世の中の事象や物事は良いも悪いもなく、ただただ存在をしている
それを良いとするか
悪いとするかは
自分というものである
きっと生きているうちの半分以上でもそれらを良いと判断し生きていれば死ぬときに良い人生だったと思うだろうし
半分以上を悪いと感じて生き抜いたならば、悪い人生だったと思い死ぬだろう
優しさを愛と感じるか、お節介だと感じるか
気配りを気が利いていると感じるか、うっとおしく感じるか
雨の日を気温が下がって良いと思うか、濡れるから面倒だと思うか
目の前の白飯に美味しそうだと感じるか、炭水化物は太ると感じるか
支払ったお金を、欲しいものが手に入った、または販売者の売り上げに貢献できたと喜ぶか、お金を失ったと感じるか
全部行動や感情自体は同じはずなのに自分というフィルターを通すと良いか悪いかという中での結果がたくさん現れる
だとしたら
良い風に、ポジティブに、感じ良く、良いところを見つけて
自分の身の回りの世界が実は幸せの塊だったのだと気付き直した方が、人生楽しいのではないか
しかもこれは過去にも遡れる
あの時のあの嫌だったことは実は自分がそう受け取っただけで、実は幸せで良いことだったんじゃないか
という風に過去は変えられないという概念を覆せる
起きた事象は変えられないけど、それを感じた自分の感情は訂正できる
そんな事に気付き始めんだよね
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