インディ同窓会 | 「灯りと温もり」の雑記帳

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平成29年元日に、ブログタイトルを「アメカジおやじの雑記帳」から「『灯りと温もり』の雑記帳」に変えました。

 

映画『インディ•ジョーンズと運命のダイヤル』を先月30日の公開初日に初回上映で観ました。観客の入りは盛況ではないが、少なくもないってところでした。

勤め人や学生が来館し難い時間帯だからか、観客のほとんどが高齢者で、あの中だと私でも若手の方だと感じました。

40年以上前からのシリーズだから、一作目の『レイダース 失われたアーク』が公開された頃はインディも他の観客の皆さんも私も若かった。

 

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だからでしょうか、私はこの作品を制作者や俳優、観客が参加する壮大な「インディ同窓会」だと受け止めました。

エンドロールで延々と表記される膨大な数の関係者の名前もまた、それを強く思わせましたが、エンドロールが始まるとすぐに席を立つ人が通常よりも多く感じました。“先輩たち” はエンドロールまで観ない人が多いのかな? 同窓会なんて感慨は無く、単にヒットシリーズの最新作を鑑賞しに来ただけなのかな?

エンドロールまでしっかり観る私としては、「邪魔だけはしないで欲しい」と思うのです。


一作目の『失われたアーク』を私は大阪の梅田に在った『北野劇場』で観ました。梅田に行ったのは、IVY•トラッドの『トラヤ』と云う店でシャツやネクタイを購入する目的と合わせたからでした。

『失われたアーク』のエンドロールが終わり、ロビーに向かって歩いていたら、高校の同窓生に出会いました。彼も映画好きでしたが、まさか劇場で会えるとは驚きでした。その後、二人で飲みに行きました。そんな思い出もあるインディ・ジョーンズ シリーズです。

 

 

私は最新作『運命のダイヤル』の事前情報を得ないままだったので、今回スピルバーグさんは監督をされず、嘗てのルーカスさんに替わって制作の責任者的立場で作品に関わった、という事すら公開直前まで知りませんでした。

劇場公開されたばかりなので、ネタバレは避けますが、物語の舞台があそこまで拡大するのが意外で好かったのは、私が粗筋すら調べないまま鑑賞したのが幸いしたと思います。

ラストでのインディの我儘を周囲が冷静かつ荒っぽく止めたのは、3作目の『最後の聖戦』のラストでのショーン・コネリーさんの振る舞いを想起させましたし、物語の最後の最後は落ち着くべき形になって安堵しました。

 

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写真左(スマホは上)は1作目から3作目までのセットで、これを購入した当時はソフトの単体販売が無く、これでしか入手できなかったと記憶しています。右は4作目『クリスタル•スカルの王国』の単体ソフト。

 

『運命のダイヤル』はシリーズ5作目ですが、3作目でシリーズが終わったものと思っていたのに、3作目から約20年後に4作目が作られ、そこでは従来の宗教的な超常現象や魔力から離れ、宇宙人を登場させて冒険の設定も行くところまで行った感があったし、インディの平穏な余生を示唆するような終わり方だったので、あれでシリーズ終了だと思っていましたから、その15年後に5作目を作るなんて「どんな事情があったのか?」との思いでした。

10年ほど前だったかにルーカスフィルム社をディズニーが買収したから、集客を見込めるシリーズをディズニーが離さないのだろうなあ。ハリソン•フォードさん演じるインディ・ジョーンズは今回で最後でも、ディズニーは役者や時代を変えてシリーズを続けるのでしょう。ディズニーだと『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『スター・ウォーズ』などが そうだったように、連作は当たれば大きい。

 

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『運命のダイヤル』でのインディは想定が70歳だけど、フォードさんは今月、81歳になる人ですから、撮影が今から3年ほど前だったとは言え、そのアクションシーンを少し心配していましたが、無理に若ぶることも無く、息切れもしつつ歳相応のインディ•ジョーンズをしっかり演じていました。老いたミュージシャンの枯れた演奏みたいに、枯れたアクションも好いものです。フォードさんと同い年のバイデン大統領よりもずっとしっかりしている。

 

近い将来、「Generative AI」所謂 “生成AI” に依って、何時だって四十代の活き活きとしたインディ•ジョーンズがスクリーンで観られる、いや、もう既に作られているのですね。

『運命のダイヤル』の冒頭シーンでは若いフォードさんが演じるインディがナチス相手に闘いますが、これは過去に撮影されたものをAIに依って生成した映像だ、とパンフレットに掲載されているフォードさんの寄稿文に書かれています。


10年か15年くらい前だったか曖昧な記憶ですが、まだ「AI」と云う呼称は聞かれなかった頃に「将来的には俳優の顔も声もコンピュータが作る」「俳優は不要になる」と言われていました。今後はストーリーや脚本、音楽、効果音なども AIに依って制作されるのでしょうし、更に先には制作会社の手に依らず、個人でも出来るようになるのでしょう。

 

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『インディ•ジョーンズ』から話が外れますが、もう35年ほど前になるか、私はApple社の Macintosh PCを購入し、その後photoshopで写真加工、IllustratorやPainterなどのグラフィック、PageMakerなどでのDTPで遊んでいました。それに伴ってPCを何度も買い換えました。今はその多くを卒業し、一部だけ細々とやっていますが、あのような手軽さで映像制作が趣味の範囲で出来るようになるのでしょうね。

現在、多くのYouTuberたちが映像編集をやり、字幕を入れ、効果音まで巧みに入れている映像が溢れていますが、今後も個人が出来る事が更に進化と増大を続けるのでしょう。個人がAIを活用し始めれば、公開される映像が本物なのかフェイクなのかで混乱を来しそうです。

かく言う私も映像編集に深入りしそうなのを堪えているところです••••高い玩具になりそうですから。

 

また、映像の楽しみ方も変化していて、バーチャルスクリーンが小型化されて安価で提供されていますから、今後は劇場での鑑賞が減るのかな?

劇場で楽しんだ作品のソフトを購入し、自宅でまた観る・・・というのが多い私ですが、近い将来には映画が劇場公開後から短期間で配信が始まったり、劇場公開と同時に配信されたり、遂には配信のみになったりするのだろうか? 少なくとも方向性はそっちなのかも知れない。ソフトの制作も徐々に無くなってゆき、サブスクばかりになるのか、更にその先はどんな仕組みになるのだろうか?

 

  

 

私は今、劇場での映画鑑賞を若い頃のように頻繁にはできていませんが、劇場で観る楽しみが無くなる時代まで生きてなんかいません。

次世代の人達が楽しみ方を変えてゆくのでしょう。それを見届けられないのは残念ですが。

 

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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