現代の社会はあらゆる価値観が崩壊および創造、または変化、成長。とにもかくにも変化しているといえます。 前回ブログでもご紹介したように、これももまた資本主義の大きな変化なのかもしれません。
消費には物語消費と呼ばれるものがある。主に子供達に見られる消費です。モノを消費するに当たって、「必要なモノを買うこと」でなくなっているばかりか、消費者が勝手にモノに商品をつくりだし、勝手に消費してしまうということ。子供はカード目当てでチョコレートを買いますよね。しかし今回は、記号消費から機能消費への転換について考えて生きたいと思います。(笑)
これまでの消費はモノの社会的な評価に眼目があったといえます。
ボードリヤールの消費社会論では、消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではない。消費はもはや個人や集団の単なる権威づけの機能ではない。消費はコミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せられ受け取られ再生される記号のコードとして、つまり言語活動として定義される
年代モノの車などは、燃費も悪く使用価値はかなり低いと言えます。しかし高額を払ってまで買いたいと思う人がいるのは、そこに社会的な価値が存在しているからなんでしょう。 これは記号消費の一例だといえます。
高価なモノの消費や、役にたたないモノの消費、つまり浪費により社会的なステイタスを高めるというのが、記号消費に内在していたと思います。 しかし現在は社会的ステイタスというよりか、主語を持った人々が増加したことにより多様性な世の中になってきているから。根本的にずれてきてると思うのです。こういった社会の変化は情報革命によるものなのでしょう。
当たり前かもしれませんが、時代によって消費は変わってくるのです。最近までに主流だった浪費によるステイタスの向上は中世のヨーロッパではありえないことなんです。あの時代は物欲は愚かなものとされ、自分のものを提供することがすばらしいこととされた時代である。 結局そんなものなのかもしれません、浪費によって社会的ステイタスが向上していたのは歴史的な観点からみるとたいした年月でもないのかもしれません。
他者との差別化に用いられた記号消費は薄くなってきましたかね。 差別化とか過去に比べて現在はツイッター、SNSなどで安易に可能になってきているような気がするのだけれど。とうよりそれが気づかないうちに普通になってる。今までは差別化するためにお金が必要だったのかも!だからお金を皆必死に稼いでいたんですかね!勿論いまでもお金を持っている当のは差別化の一つだといえます。しかしそれはあくまで多様な中の一つに過ぎないということになります。
記号性において消費されるということが、とりもなおなず消費社会の大きな特質なのです。ボードリヤールの表現をかりると、現代人の消費は「財とサービスの使用価値の個人的取得の論理」ではなく「社会的シニフィアン(意味をもつもの)の生産および操作の論理」にしたがっておこなわれる。
でもね、一ついえることは、現在ブランド商品として市場に出回ってるものは理由がなければのなっていませんよ。それはやはり機能はいいということ(笑) グッチのズボンとかとんでもないくらいはき心地いいですよ。←友人のはかせて頂きました。 しかし、ブランド料金もとんでもないというのも事実ですよね。
ユニクロはこうなること予言していたのか?それともこうしてしまった要因の一つなのか? ブランドという言葉を今後も使われるのであれば、ユニクロは新しい「ブランド」をこうちくしたのかもしれない。
記号消費について考えた岡でした。あはははははは