新選組 副長 土方歳三がとても好きで、新選組に関わるものはほとんど行ったかと思います。  

京都八木邸、壬生寺、東京日野土方歳三記念館、福島会津若松などなど。


新政府軍によって五稜郭陥落間近、土方歳三が実家に送った日本刀、和泉守兼定は土方歳三記念館で期間限定で見ることができ、その柄には強く握った跡が残っており、男なら誰でも感動ものです。




わたくしは、そもそも北海道函館生まれで土方歳三が亡くなった五稜郭の近く五稜郭病院で生まれました。



子どものころから五稜郭は遊び場でしたが、土方歳三がどんな人かよくわかりませんでした。

30才すぎてから、土方歳三に興味を持ちその生き方に感銘を受け、色々と文献など読み漁りました。


そして、一つの疑問が浮かび上がりました。


「土方歳三の遺体はどこに運ばれ、埋められた?」


土方歳三は函館の一本関門付近で、鉄砲で腹部を打たれほぼ即死だったそうです。

その後です、遺体はどこにいったのか。


函館山に埋められたのではないかなど色々な諸説があります。

その中で一番有力なのが、絶命したあと五稜郭に運ばれ、五稜郭内に埋められた説です。


旧幕府軍に伊庭八郎という片腕の幕臣がいました。



最後は胸を銃で打たれ、五稜郭へ運ばれ榎本武揚にモルヒネを与えられて、それを笑みを浮かべなかわら一気に飲み干し絶命しました。

 明治32年に行われた伊庭八郎を偲ぶ会での発言のひとつに、「八郎君の墓は函館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍にあり」というものがありました。したがって、伊庭たちがここに埋葬されているのであれば、5月11日に一本木で戦死し、五稜郭に運ばれた土方歳三の遺体もかたわらに葬られていたことになります。