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kentaro koboriのブログ

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2015年10月21日~12月末

オレはアメリカを90日間旅した。

その中の一部のストーリーをここに記す。

オレはサンフランシスコ空港に2015年10月21日10時半頃到着した。

アメリカに入国するには、幾つかすることがある。
それについて説明したいと思う。

まず始めに、日本人がアメリカに入国するために必要な条件の一つESTAについて説明する。

ESTAについて・・・

ESTA(エスタ)概要について
ESTAとは、一般的にエスタと呼称し、Electronic System for Travel Authorizationの略であり、アメリカの電子渡航認証システムのことです。

渡航認証とは、入国カードと同じ働きをし渡航者の中に危険人物が含まれていないかどうかを事前に把握するために米国政府が導入したシステムになります。

ETAS(エスタ)の登録が必要な人は?
アメリカにビザ無しで90日以内の旅行(Tourist)又は商用(Business Visitor)を目的に渡航する人が申請します。

ESTAを利用してアメリカへ渡航出来るのは日本人を含め、一部の旅券保持者(Visa Waiver Program対象者)のみです。対象国籍以外の方はビザ申請が必要です。

いつESTA(エスタ)を登録すれば良いのか?
米国政府は渡航の72時間前までに登録することを推奨していますが、うっかり忘れていた場合などは搭乗手続きまでに完了すれば渡航は可能です。

また、ESTAは許可された日から最長2年間有効(又は旅券の有効満了日のいずれか短い方)であり、期間内であれば何度でも利用することができますので、渡航の度に取り直す必要はありません。

渡航の際には・・・
ESTAの仕組みは渡航者の情報を事前にオンライン上で確認できる高度化されたオンラインシステムです。従って実際の渡航時には渡航認証許可証などの書面を提示する必要はありません。また空港スタッフや入国管理官から提示を求められることもありません。

正しく登録しておけば、実際の手続きにおいてはパスポートを提示するだけで自動的に確認することができるのです。ただシステムがダウンした場合や確認漏れが起きた場合のリスクに備えて渡航認証許可証のコピーはお持ちになっておくと安心です。
(米国大使館ESTA(エスタ)申請公式ウェブサイトより)


こういったものだ。

オレは日本を出発する前にESTAを日本でとっていた。

それでもアメリカへの入国の審査は厳しい。

サンフランシスコ空港内でも空港を出るまでにいろいろと手間取った。

その中でも90日の滞在許可を得るのが大変だった。

入国時にオレがアメリカに90日間滞在したいことを入国審査官に伝えると、「あっちの部屋に行って。」と別の部屋へ進められた。

その部屋にいた警察官らしい人に質問攻めにあった。

「どこに行くの?」
「何をしに行くの?」
「お金はいくら持ってるの?」
「そのお金見せてみ?」
「そんな金額でたりるの?」
「日本で仕事は何をしてるの?」
「どこの国に今までいたの?」

などとだ。
他にもたくさん他の質問をされまくった。
お金を見せても友達のアドレスを見せても全然信じてくれないのだ。
30分位ずっと質問攻めなのだ。

結局オレがもっていた友達の携帯番号を教えて、その警察官がオレの友達に電話をしてオレはようやく90日間の滞在を許され入国することができた。

ホッと一息。

でも、納得だ。
世界中でテロリズムが多発している今のこの世界の状況だからあんだけ厳しく一人一人をチェックしなけりゃいけないのだろう。

それから空港を出たところでオレは友達を待った。
オレは空港からskypeを使って到着したことを友達に電話で伝えた。
空港にはWi-Fiがとんでいるのでインターネットを使えるものを持っていれば簡単に連絡を取れる。
でもオレの友達はオレが空港に着いていることをオレの入国審査時の時の電話で知っていた。

オレの友達の名前はポール。
28歳のサーフィンが大好きな若者だ。
彼とは、オレが以前にインドネシアをサーフィンの旅をしていた時に出会ったのだ。

ポールは黒い4WDの車でオレを迎えに来てくれた。

久しぶりの再会に熱く握手を交わしハグをした。
そしてオレ達はそこから南へ8時間走らせてサンディエゴまで行った。

ポールがサンディエゴに用事があると言っていて、オレは日本で国際電話でポールと話しをした時に一緒に着いて行くことにしたのだ。

サンディエゴまでの車の中ではお互いの最近あったことを話しあった。
ポールはサンディエゴのクリニックに行かなければならなかったらしい。
ポールいわくポールはヘロイン中毒になっていて、3ヶ月前にヘロインをやるのをやめたと言っていた。
そのために毎日クリニックに行ってヘロインをやめるための薬をもらいに行っているそうだ。
そしてポールはそのクリニックを引っ越し先に近いクリニックに移す為にこの時サンディエゴに向かっていた。
そうポールは引っ越しをしなきゃいけないし、ヘロイン中毒を克服しなきゃならない状況だったのだ。

オレはそのことを全く知らなかった。

ちなみにヘロインに着いて調べてみた。


【ヘロイン (heroin, diamorphine)】
アヘンに含まれるモルヒネから作られる麻薬。

依存性の極めて強い麻薬であり、日本国内では麻薬及び向精神薬取締法によって、その製造・所持・医療目的を含め、規制対象となっている。現存するあらゆる薬物の中で「快」の面でも「悪」の面でも最高峰に位置するものとして、「薬物の王者」(The king of drug) の代名詞を持つ。

その使用法は主に、鼻からの摂取、経口摂取、そして静脈への注射という3種であるが、様々な点においてこれらの中でも特に重視されるのが静脈への注射による摂取である。

静脈注射によって摂取した直後から数分間にわたって続く「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものと言われ、時には『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』と、また時には『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。

禁断症状について・・・
ヘロインはその使用者に対して肉体面での依存症と精神面での依存症の両方を形成する。

その肉体面における依存、いわゆる禁断症状としては、身体中の関節に走る激痛、小風に撫でられただけで素肌に走る激痛、体温の調節機能の狂いにより生じる激暑と酷寒の体感の数秒ごとの循環、身体中に湧き上がる強烈な不快感と倦怠感、などが挙げられる。

こうした一連の症状は「地獄そのもの以外の何でもない」などと表現される苛烈なもので、この禁断症状を指していう「コールド・ターキー」(cold turkey) というスラングが生まれた。このスラングは1969年に歌手のジョン・レノン(プラスティック・オノ・バンド)が発表した楽曲 "Cold Turkey" (邦題「冷たい七面鳥」)によって世界的に著名となった。レノンはこの曲を通して薬物の禁断症状の恐ろしさを世に知らしめようとしたつもりだったが、ドラッグソングと誤解を受け放送禁止にした放送局もあったという。
(ウィキペディアより)


オレはポールもいろいろ大変なんだな。って思いながらもアメリカに着いたばかりの興奮と外に見えるでかくてだだっぴろい大地広がる景色を眺めていた。

それとは反面にこれからどーなるんだろう?大丈夫なのだろうか?という裏腹な氣持ちがあったのも正直な意見だ。
オレはさらに、氣を引き締めたのも確かだった。

車の中ではお互いにオレ達が出会ったインドネシアの旅の後の話しや、日本の話しなどで盛り上がっていた。
でも、オレは日本からの飛行機での長い移動時間に疲れを感じていて、オレは車の中で寝させてもらった。

オレが起きた時は夜で、ポールとオレはサンディエゴのオーシャンサイドのモーテルに一泊した。
値段は1人30ドル位と安かった。
その日の夜は本当にぐっすり眠れた。

そして次の日、オレ達はポールのクリニックのあとにオーシャンサイドのビーチで一緒にサーフィンをした。

オレ達は海まで歩いて行ける位の安いホテルに宿泊することにして、2部屋ある部屋を借りた。
お互いに自分の空間が作れる状況があってオレは氣楽で良かった。

ちなみにサンディエゴは氣温が高く、10月半ばだというのに日中は半袖短パンで過ごせる位なのだ。
さらに、メキシコに近い位の位置づけだからメキシコ料理のレストランがたくさんある。
オレはゴハンと豆、チーズ、アボカドが入ったブリトーが大好きだ。
それにライムを絞って食べるのだ。









[サンディエゴ]


そして、ポールとオレは2日目から泊まっていたそこのホテルで数日間過ごすことになった。
多分6日間位そこに泊まっていたと思う。

正直オレはそこを出て1人で行動しようか迷ったが、アメリカに着いたばかりもあってしばらく様子を見ることにした。

本当は2泊だけのはずだったが、ポールのクリニックの移動がうまくいかなかったのと、ポールとポールの親父が詳しくは知らないが、何かのビジネスをやっているらしくその都合で数日間サンディエゴにいなきゃならなくなってしまったのだ。

ちなみにオレ達は毎日サンディエゴの海でサーフィンしていた。
やっぱりサーフィンは最高に氣持ちいい。
ポールともたくさんのことをお互いで話しをした。

オレの旅の話し。
ポールのアメリカでの生活、ポールの昔の話し、ドラッグの話しなどだ。

オレはドラッグに着いてほとんど知らないくらいだから話しを聞いていて別世界を教えてもらっている感じだった。

ポールは特にヘロインに着いてオレに教えてくれた。

ヘロインの快感とその後のポールのフィーリング。
アメリカでのドラッグ事情などだ。
アメリカは今、大きな動きがあった国だ。
数年前から、日本では麻薬取締法違反薬物に登録されている大麻が州によって合法化されていて、ワシントン州、オレゴン州では合法で、カリフォルニア州は免許があったら摂取しても大丈夫だそうだ。
それによって大麻産業という一つの大きな産業が生まれたのも言うまでもない。



[サンフランシスコのバスの医療大麻の広告]


アメリカの大麻事情
2012年11月6日、ワシントン州にて大統領選挙に合わせて住民投票が行われ、同年12月6日、米国で初めて嗜好用マリファナ(乾燥大麻)の私的使用が合法化された。新法では、21歳以上に最高1オンスのマリファナ所持が認められている。合法的に販売されるマリファナには25%の税金が州より課せられる。

コロラド州でも同様に11月6日に住民投票が行われ、合法化が可決された。翌年1月5日から新法は施行され、州内の住民であれば1回当たり最大1オンス(約28グラム)まで、州外の住民であれば4分の1オンスまでの購入ができるようになった。現在の店頭価格は1オンス当たり400ドル~500ドルで、密売されていた当時の末端価格の4~5倍の値がついている。

オレゴン州でも同様に11月6日に住民投票が行われたが、反対55%、賛成45%で合法化が否決されている。

またアメリカでは各州議会が定める州法「医療大麻法」により、この医療大麻について、医師の推薦や許可が得られる場合に限って、大麻を所持・栽培できる州がいくつか存在する。ただし、どの州も患者による大麻の販売(転売)や配布は違法行為である。医療大麻法は1996年にカリフォルニア州で執行されたのを皮切りに、2014年7月時点で、23州で合法化されている。
(ウィキペディアより)


また、アメリカでは他のドラッグを使用しているヒトもたくさんいるそうだ。
ヘロインもそのうちの一つでポールいわく、多くの人達がヘロインを使用している国でもあるらしい。
でも、ポールはヘロインは人の夢を壊すともしっかりオレに言っていた。
経験した本人が「絶対にヘロインはハマっちゃダメなものの一つだ。」って本氣の顔してオレに伝えていた。

オレは後日、ポールと一緒にいてヘロインってマジ怖いものなのかもしれないと感じたことが何度かあった。
オレはオーシャンサイドのホテルでポールと一緒に過ごしていて、一緒にサーフィンを何度かした。
波が良かったことが何度かあり、オレはやっぱしサーフィンはすげー氣持ちいいって思ってても、ポールは全然楽しんでなさそうだった。

オレとポールの温度差のギャップにオレは戸惑い始めた。

オレはヘロインの経験がないからポールのことを理解するのが難しかったが、以前インドネシアで出会った時の爽やかさが全然感じられなかったのだ。
そしてポールはどこか愚痴が多いようにも思えた。
波を見ても小さいとか、風が入ってるとか、確かにそうだが、目線が不満に向いていることが多いようにオレには感じた。
サーフィンをしても、「疲れた。」と言ってホテルでずっと眠っていたり波があってもそのまま寝ていたりとだ。

人は人だからしょうがないって思う反面。
オレはそれが何か残念だった。

オーシャンサイドの数日間の後にオレ達はポールの引っ越し先に行った。
カリフォルニアの北方面だ。

場所はプライバシーもあるから地名は書かないが、サーフィンで有名なSantaCruzよりもさらに北だ。

カリフォルニアと言っても大きい州なので南カリフォルニアに位置するサンディエゴと全くと言っていいほど見た目も感じも違かった。
北のカリフォルニアはもっと木がたくさんあって寒い。
でも全然田舎でワイナリーがたくさんあってブドウ畑がすごく綺麗な所だった。



[ブドウ畑]


ウネリもサンディエゴよりたくさん入っていい波もたくさんある。

その北のカリフォルニアでオレはポールの親父さんとその友達、またその周りの人達と出会った。
ポールの親父さん達は、正直いい人達だ。
でも若干変わっていた。
まず生活スタイルが今まで出会った人達と全然違かった。

なんせ大麻を朝起きてから寝るまでずっとずっとずっと吸っていた。
確かに今まで旅をしていて、そんな感じの人達に何度か出会ったことがあったがここではすごく短かにそうだった。

そこでオレは何日かお世話になった。
あんだけ大麻を吸ってるのを見ていると何かすげーな。
さすがアメリカ。
さすがカリフォルニアっておもいきり感じた。

そこでの生活で目の当たりにしたことはマジドラマみたいだった。

でも素直に悪い人達ではない。
ただ、何となく重いフィーリングを感じたのも正直な意見だ。
やっぱりその人達がフォーカスしている世の中が割合的に悪いものを多く見ているようにオレには感じた。

それに引っ越して早々にシェアメイトのポールやポールの親父さんの友達が、その人の彼女ともめたか何かして、その人の彼女と誰かよくわからないおじさんがきて、シェアメイトの人とどこかのよくわからないおじさんが夜中に大げんかしていた。
シェアメイトの人が包丁をもっておじさんを刺そうとする素振りみせてたりとマジむちゃくちゃなことが起こってた。
オレ達は夜中に起きてそれを止めに入ったりもした。

それにポールの親父さんの知り合いの女性の家に行ったら、その女性の家の空氣がどうも重くて、後からポールの親父さんに聞いてみるとその女性もどのドラッグかよくわからないけどハードドラッグ依存性で刑務所を出たり入ったりしていて大変な目にあってるって言っていた。
それにその女性に子供もいるらしい。
久しぶりに重い世の中を見た。

オレはポールの新しい引っ越し先の場所は正直にすげー好きだった。
田舎で自然いっぱいで夜空の星がたくさん見れる美しい場所だった。
ただ、そのお世話になっていた所の雰囲氣がオレには耐えれなかった。
だからその場所を出ることをそこではいつも考えていた。
ポールにもそれを伝えていた。

数日間だけだったが夜に寒い中、外で星空を見てその美しさに浸ってたのはすげー良かった。
それを見ながらうたを毎日うたっていた。
それにいい事が起きることを毎日星に祈った。
流れ星もたくさん見た。
朝には日の出前に起きて日が登るのを見入っていたのもすげー美しかった。




[そこで見た夕日]


んで、人生ってすげー面白い。
ポールやポールの親父さんにお世話になっていてすげー感謝はしていたが、やっぱり自分の心に正直にって思い、その場所を出るって決めてから行動しようとしたらたくさんの物事が動いた。

まずオレはポールの新しい家でお世話になっていたとき、毎日散歩やジョギングをしていた。
ポールの新しい家の周りには美しい森があって木々が朝日とのコンビネーションで最高に清々しいのだ。
そんな時にその近所に住んでいた40代後半位の女性シャーと仲良くなったのだ。
きっかけはシャーが犬を散歩していて、その犬が散歩中のオレににシャーと軽く挨拶した時になついてくれて仲良くなったのだ。
犬の名前はペイジーだ。
小さいなつっこいチワワ犬だ。

そしてオレがポールの家を出ようとした前日にシャーに道で、また出会ったのだ。
そしたらシャーはオレに薪ストーブ用の薪割りを手伝ってほしいと頼んできたのだ。
オレはシャーがいい人そうだったのと、オレの氣が向いたので次の日にそれを手伝ったのだ。

薪割りは身体を使って汗をいっぱいかく。
そんなんがすげー氣持ちいい。

そんな薪割りの後にオレはシャーとその時のオレの状況や旅の話しをした。
そしたらシャーはオレに余計興味をもってくれたのとシャーはオレに新しい行き先をくれた。
シャーの知り合いのオーガニックファームだ。
シャーは話しをして知ったのだがトラウマを持つ人達をカウンセリングしてヒーリングする仕事を個人でやっている人だった。
シャー自身「私は人の役に立つのが大好き!!!」と言う位エネルギッシュな人だった。
オレはその流れに乗ることにした。

いい人の紹介の場所。
何か直感的にいい方向がそこにある氣がした。

それからポールとポールの親父さんにお世話になったお礼を言って、数日後にオレはそこからさらに北にあるユーカイアという場所の近くまでバスを使って動いた。

オレの心はウキウキしていた。

自由を感じた。
そして家がないジプシーな生活がオレにはやっぱり性に合っていた。

ちなみにシャーの知人とは事前に電話で連絡をとっていて、オレがその日そこに行くことを伝えたら喜んでくれた。

ただし、その場所はユーカイアからさらに北にある場所でそこに行くまでにユーカイアに到着した後には同じ日にバスがないのだ。

でも、その場所にその日にオレはどうしても行かなければならなかったのだ。
理由はシャーの知人はスキーヤーで、その次の日からどこかの山にスキーをしにしばらく行こうとしていて、面識だけでもその日に会おうって電話で話していたからだ。

ユーカイアについてからオレは考えた。
実際その日にホテルに泊まることも考えていたが、約束したし何かどうしてもその日にシャーの知人と会いたかったのだ。

日もだんだん暮れかけていた。
だからオレは賭けた。
ヒッチハイクをした。

みんなアメリカは危ないからヒッチハイクはするべきじゃないってよく言うが、オレは何かその日どうしても前に進みたかったのだ。

だから親指を立てた。
また、ノートに行き先のサインも書いた。
ちなみに次の行き先はブーンビルという場所で、そこに到着したらシャーの知人は迎えに来てくれることになっていた。

ヒッチハイクスタートから15分。
オレは簡単に車に乗せてもらえた。

オレを乗せてくれたのは一人の27歳位の女の子だった。
その子はどこか不思議な感じの女の子で、話しをしていたら、自分はホームレスだと言っていた。
車の中は確かにモノだらけで荒れ放題な感じだった。
でも悪い子でもなさそうだった。
ホームレスながら仕事もしているそうだ。
どっかのスーパーマーケットで働いていると言っていた。
またオレを車に乗せてくれた理由は、「いいことをするといいことが返ってくるから。」と言っていた。
ブーンビル行く道の途中までその子はオレを車で乗せてってくれた。
そこからは彼女が行く方向とは違うからと言っていたが、話していたらブーンビルまでのガソリン代をオレが払うって言ったらその子はオレをブーンビルまで乗せて
行ってくれた。

彼女はガソリン代を5ドル請求してきたが、彼女の心意氣でオレは10ドル払った。
マジいい子だった。

そしてオレはシャーの知人に電話をして無事にシャーの知人はオレをブーンビルまで迎えに来てくれた。

ちなみにシャーの知人の名ははサイモンだ。
サイモンはオレを家まで連れて行ってくれた。

その日サイモンとオレは話しをして、オレはサイモンの家に一ヶ月位いることになった。
オレはサイモンの家の庭にある大きなオーガニックファームを手伝う代わりにそこにひと月住まわせてもらえることになった。

しかもそこの畑で作っているオーガニックの野菜食べ放題の条件付きでだ。
サイモンのお家の採れたてのオーガニックの野菜は最高にうまかった。
どの野菜も味も風味も濃くて元氣な味がいっぱいした。

それにサイモンの家にはオレの他にサイモンの友達が住んでいて、みんな個性があってかっこよかった。
まずショーンっていう世界中を旅しているかっこいいアメリカ人で写真が趣味で、彼からはたくさんのことを学んだ。
その後のオレのアメリカの旅のオススメの場所だったり、それにバードウォッチングもだ。
サイモンの家にあった大きな望遠鏡で一緒によくワシとかかっこいい鳥を見て感動していた。
また、レッドウッドと呼ばれるでっかい木の森に連れて行ってくれたりもした。



[日が差したレッドウッドの森]

[レッドウッドの木の前で]


その他にニューヨーク出身のデイビットとその彼女でロシア出身のソフィーヤもいた。
サイモンはスキーヤーだが、サーフィンもしていて、サイモンが留守の間、休みの日にサイモンのサーフボードを借りてデイビットとサーフィンをしに行ったりもした。
デイビットはその時サーフィンが始めてで、オレが少しサーフィンを教えた。
そしてデイビットは始めて波の上にその日立って乗ることができたのだ。
目ん玉大きくして喜んでいたのが強く印象に残っている。
またソフィーヤも優しい女の子だった。
ロシア料理のスープを作ってくれたこともあった。
そのスープの名前はわからないがすげーうまかった。
野菜がいっぱい入っていてたくさん煮込んだ系のスープ。
サワークリームを入れて食べるのだ。

そんなみんなと一緒にオレはサイモンの家の大きなオーガニックファームを手伝いしながらそこに住んでいた。



[オーガニックファームでの朝の空]


あっという間にそこでの一ヶ月間は過ぎていった。

森の中の静かで大きな農場、すげー平和で心地のいい生活だった。

またオレのアメリカの旅の半分はこの時過ぎていた。

短い間だったが、見たもの感じたことがすごく大きなことばかりだった氣がする。

ちなみにオレはヘロインについて、考えてみた。
オレは実際ヘロインをやったわけでもないし経験がないから明確に言うことができないが、ウィキペディアを読んでみると依存性の極めて強い麻薬であり、人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきたと書いてある。

でも、オレはやってきた張本人を見たからだが、ああは絶対なりたくない。
それにオレは全然興味がない。
それに経験者が「ヘロインは絶対ハマっちゃダメだ。」って本氣の顔していう位のモノなんだろう。

また、オレは最近そういった依存性の高いドラッグはドラッグ依存そのものよりも、もっと前の人としての基盤、根底の何かが原因でそういう道に進んで行くのではないだろうか?って思っている。

オレはドラッグで快楽を瞬時に得る快感よりも、常にゆるぎない心地良さを感じてる人ってすごく理想に感じる。

そういった人にもオレは旅をしている中で実際あった時がある。

あの落ち着いたゆるぎない深い人の感覚って、オレにはむちゃくちゃでかく感じるし、すごくかっこいい。

やっぱりすぐに手に入るものって壊れやすく、長い時間をかけて得たものってゆるぎなくて強い。

快感や心地良い感覚もそうなのではなかろうか?

やっぱりたくさんの物事を経験して泣いたり笑ったりをいっぱい経験している人、失敗を繰り返して成功している人の心からの笑顔って、やっぱり嘘偽りがなく輝いていて強い。

人ってたくさんの物事を乗り越えて経験して強くなっていくんだと思う。
それにそんな素敵な人生ってオレには素晴らしく感じる。
人生ってたくさんの学びの中に生きているんだろうって思う。

また、類は友をよぶって言葉がある。

オレは世の中良いも悪いも、常に両方面存在しているって思う。
オレは全部が見えるわけじゃないが、両方見てどちらも感じて、良い方を選ぶのが理想だって思う。
悪い経験したら学びって思う他ない。
そん時落ち込んだり泣いたりしても全然いいって思う。
それが自然だからだ。
逆にいいことあったら喜ぶのって最高だし。
それにどっちにもチャンスは転がっているし。

また、それって人それぞれの視点で、それぞれの人達が自分の生きている世界を作っていることになるってオレは思う。
みんなは自分達の世界を作っている張本人なのだ。

たくさんの可能性があるから二極化できない話しなのだが、大げさに見て強引に二極化して大げさに言うと、世の中に感謝しながら愛の目で見た世界を生きている人と悪い方向に不満をもって生きている人は互いに自然と別れて行くんだと思う。

今回のポールの家を出ることになったときそれを痛感した。
自分の心の中で見たり思ったりする方向に人って自然と向かっているんだと思う。
それは多分人によってタイミングやその速度は違うんだと思う。

だからオレはどっちも見ていい方向を選んで生きたい。
心の声に正直に生きたい。
それがオレにとっても、周りにとってもいい影響が起こるってオレは今信じているからだ。

それにこれからも様々なことを経験してたくさん学んで行くんだと思う。