Con Entusiasmo y Serenidad

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ドイツの4度目の優勝で幕を閉じたFIFAワールドカップ2014ブラジル大会。前回大会チャンピオンのスペインがGLで敗退。そのスペインを倒したオランダの躍進、伏兵コスタリカの健闘、ブラジルのエース・ネイマールの負傷離脱と準決勝での歴史的敗戦等々…。今大会は様々なドラマが生まれ、人々の心にいつまでも残り続けるだろう素晴らしい大会になった。

我らが日本代表はと言えば、多くの国民の期待を裏切り、未勝利のまま大会から姿を消した。大会終了を待たずして、様々な媒体で今大会の日本の敗因が指摘され、多くの意見が出された。

その中に一つ、(あくまで)個人的に気になった指摘がある。

「なぜ大久保を直前に招集したのか。もっと早く呼んでいれば連携がとれた。彼がチームバランスを乱した。」

まぁこんなような内容だったと記憶する。ここで言いたいのは、この記事の揚げ足を取って批判することではない。選手はプロフェッショナルである。結果が出なければ批判を受けるのは至極当然のこと。ネット上でマスコミを揶揄してマスゴミ等という言葉も出回っているが、何もそういう事を言いたい訳ではない。

ここで考えたいのは、こういう記事を受け取った我々読者がそれをどう捉えるかということである。もし日本が大久保の活躍で勝ち上がっていたらこの記事はどうなっていたか。恐らく、「大久保の直前招集がチームに刺激を与え、対戦国もデータが不足していた事が功を奏した」となっていたに違いない。光があれば影がある。長所と短所は表裏一体である。それを理解していれば、先程の記事を見ても大久保の価値そのものを否定することにはつながらないだろう。(あくまで捉え方の問題で、記事の中身の是非を問うことが今回の趣旨ではない。)

伝える側と受け取る側では、伝える側の方が立場が上だという意識が日本では強いような気がする。しかし、受け取る側が何も疑わず、ただ無批判に受け入れるだけではお互いに成長しない。情報の溢れる現代社会。サッカーにおいてもその流れは顕著で、情報の取捨選択は一層難しくなっている。日本サッカー発展のためにもメディアリテラシーの向上は必要不可欠なのではないか。

勿論この文章自体、批判的に読んで頂ければ幸いである。