~父の死~ | “あ”のブログ

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11日の金曜日、父の葬儀が無事終了しました。
昨日、兄夫婦と私たち夫婦でお寺参りに行ってきました。


8日の朝、6時過ぎでした。
病院から父の容態が急変したと連絡が入りました。
製造現場に入っている私が抜けるわけにはいかないので、兄夫婦に病院に行ってもらいました。
30分もしないうちに電話が入り、6時17分に息を引き取った、とのことでした。
84歳でした。


3度目の脳梗塞で倒れ、入院加療中でした。
さすがに今年、父の入院の知らせを聞いて見舞いに行った当初は長くないかもしれない、と思いました。
しかし、その後の治療で随分回復し、入院当初意識もなく、しゃべることも、手足を動かすこともままならなかった父が、日を追うごとにしゃべれないまでも私たちを見て笑ったり、手を動かしたりできるようになり、更に、聞き取りにくいけれどもしゃべることが出来るようになって来た時には、退院できる日も、そう遠くないかも、と思ってもいました。

しかし、2ヶ月ほど前からまた容態が悪くなり、病院で精密検査をしたところ、心臓や肺に重大な欠陥が見つかりました。
高齢であり、また脳梗塞の治療の為に血液の流れを良くする薬なども使っていたこともあり、手術はむずかしい状態でした。
病院では投薬治療を中心にいろんな治療方法を試してくれたようですが、1ヶ月ほど前からはほとんど寝たきりの状態となり、私たちもある程度の覚悟はしていました。


8日、7時半過ぎ、兄夫婦と葬儀社の人に連れられて父が実家に戻ってきました。
仕事中でしたが、指示をしてその場を任せ実家に行き病院から戻った父と対面しました。
父の寝顔はあまりにも穏やかで、微笑を浮かべているように見えました。
わかっていた事とはいえ、呼吸をせず、真っ白な顔で、冷たくなった父の額や頬を撫で、唇に死に水をやりながら、あふれる涙を止められませんでした。


親戚や父の知り合いなどへの連絡は兄に任せ、私は途中だった仕事を終わらせる為に会社に戻りました。
12時過ぎ、その日の仕事を終え、翌日の仕事の段取りを済ませ、再び実家に行き、兄と一緒に葬儀社の担当者、住職を交えて通夜、葬儀日程の打合せをし、10日午後6時から通夜、11日11時30分火葬、14時30分~15時30分告別式、15時30分から本葬と、予定を決めました。
うちのような家内工業的な零細企業は、こんな時でも仕事を休むわけにはいかないので9日、10日は通常通りに仕事をし、午後から実家に行き葬儀の細かな打合せや、訃報を聞き駆けつけてくれた親戚や父の友人知人の方々の相手などをしていました。
11日の本葬当日は、製造量を半分に抑え、兄には仕事を休んでもらい私が普段どおり出勤し仕事の手配を行いました。


棺に納められた父と最後の別れをする時、火葬場に着き見納めとなる父の顔を見た時、棺が炉に入りその扉が閉められた時、こらえようのない、なんとも言えない感情が湧き上がり、どうにも、体の震えは止められず、溢れる涙も抑えられませんでした。

約1時間半後、白い骨となった父の姿を見たときは不思議と心の落ち着きを感じました。


告別式には500名を越える方々が弔問に訪れて下さいました。本葬の後の精進落としの席にも120名ほどの方が残り生前の父を偲んで下さいました。
兄夫婦、私達夫婦4人ではとても全部のお客様へお礼の挨拶に回りきれないほどでした。
午後6時半、葬儀の全てが終了しました。


私の父は頑固で非常に生真面目で頭のいい人でした。
うちの子供たちはよく「なんでおじいちゃんはあんなに真面目なのにお父さんはこんなんなの?」などとよく言っていました。
お酒が好きで、毎晩ウィスキーを手に晩酌をしていました。

車の運転が好きで、山野草が好きで、写真を撮るのが好きで、山登りが好きで、絵画の収集が好きで、美味しいものが好きで・・・
特にカメラの腕は玄人はだしでした。
だから、風景写真、花の写真、私たち子や孫の写真は沢山残っているのに、本人の写った写真が本当に少ない。遺影選びに苦労しました。


厳しいけれども、いつも明るくにこやかな人でしたが、そんな父が見るも哀れに落ち込んだのは、私が24歳だった約30年前、連れ合いだった母を突然に失った時と6年前、私の甥、兄の長男だったマー君が自死した時でした。
今でもその時の姿を鮮明に覚えています。

長い人生の中で、辛く、悲しい経験をくぐり抜け、それでも明るく、優しく、厳しく、家族のため、自分の為に生きてきた父を私は尊敬しています。
私の為になると思うことは何でもしてくれようとする父でした。
怖かったけど、子供の頃から大好きで、自慢の父でした。
出来の悪い息子たちを持って随分苦労しただろうねぇ。


父から受けた無償の愛に対してその恩を返すことは今となってはもう出来ません。
今、私が出来ることは、その無償の愛を自分の子供たちに注いでやることです。
それが父に対するせめてもの恩返しになると信じています。


骨壷に収め切れなかった骨は兄と相談して持ち帰りました。
細かく砕いて父が好きだった場所にまいてあげようと思います。