本当の涙~深い悲しみ~優しさ | “あ”のブログ

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伯父の棺に向かい、伯父の少年のような顔を見て伯母が涙を流す 伯母の涙を目にし、ああ、これも本当の涙なんだなと思う

思えば私は何回本当の涙を流したのだろう

32年前 母の突然の死 
日曜日の午後8時前、私の父から電話がはいった「もしもし、○子が、お母さんがえらいことになった すぐきてくれ」
何とも言えない胸騒ぎを感じながら実家に向かった
実家に着くと救急車が母を乗せまさに病院に向かう所だった 私も救急車のあとから一緒に病院に向かった
病院のベッドに横たわる蒼白な顔の母 慌しく動き回る医師、看護師
電気ショック、2度 3度  心臓への直接注射 医師が汗を浮かべながら賢明に心臓マッサージを行う

なぜだろう そんな母を見ているとき涙があふれてきた とめどなくあふれてきた まるでつきることがない湧き水のようにあふれてきた 止めようにも止めることのできない涙だった
不思議な、今まで味わったことのない不思議な感覚だった 泣いてる場合じゃないだろ って思うのに涙は止まらない 悲しみを感じながら流す涙ではない 自然にあふれてくる涙

今になりあれが本当の涙なんだなと思う

4年前 甥っ子の自殺
それはまた私の父の口から聞かされた「まーくんがな、ま○○が、東京でビルから飛び降りた」蒼白な顔で唇を震わせながら父が私に告げた
兄夫婦が20歳になったばかりのまーくんを連れて帰ってきたのは次の日の朝だった
まーくんの寝顔を再び息をすることのない寝顔を見た時、やはり涙があふれてきた 気丈に振舞う兄夫婦の手前泣いてはいけないと思うが、やはり涙を止めることはできなかった

あれもやはり本当の涙だったんだろうと思う


人は感動的な場面を目にした時、深い憐憫の思いを感じた時などに涙を流す それらの涙は自分の感情を高めることにより流される
しかし、身近な人の死に接した時流れる涙はなんの感情も心に湧かないのにあふれ出る とめどなく流れる涙

この先私はあと何回本当の涙を流すのだろう 伯父の死に接しふと考えた


本当の涙を流す それは深い悲しみの訪れをあらわす 涙の後に深い悲しみが訪れる 
人として生まれてきた以上 両親の死、予期せぬ身内の死に必ずや出会う時が来る
それは、その死を予測できたとしても、言いようのない深い、深い悲しみをもたらす

だが、人はその深い悲しみを知ることにより、深い悲しみを経験する事により今自分が受ける“生”を真剣に考えることが出来るのではないだろうか、自分の子供たちの“生”を守ってあげたいとより強く感じるのではないだろうか

深い悲しみを知る人間に他人を傷つけることは出来ない

深い悲しみを知ることによって人は人に優しくなれるのではないだろうか
優しさは言葉で表すものではない どんなに辛らつな言葉を投げかけても、厳しい態度をとってもその人の心の奥底に潜む優しさはその人からにじみ出てくるものである うわべだけの言葉を並べる優しさよりそういう人の優しさは心に染み入るものであると思う

私はもう本当の涙を流したくはないと思う
ただ、本当の涙を知ることができたからこそ今の自分、家族があると思う