今日紹介選手は柔道の阿部一二三選手と阿部詩選手です。
2人は東京オリンピックで兄弟同日優勝を果たしました。
パリでは兄弟で2連覇なるか?
2人は兵庫県神戸市出身です。神戸に行ってカレーを食べたいです。
今日紹介選手は柔道の阿部一二三選手と阿部詩選手です。
2人は東京オリンピックで兄弟同日優勝を果たしました。
パリでは兄弟で2連覇なるか?
2人は兵庫県神戸市出身です。神戸に行ってカレーを食べたいです。
Q16:女性でも救命士になれると思いますか?
A:なれます。女性の救命士は増えてます。1年生の時に卒業生の足立さん学校に来た時の話をします。
民間の救命士養成所で資格を取ってから消防の救急隊員になる場合はこのような経緯をたどります。
①高校卒業
②救急救命士の民間養成所:専門学校(2~3年)・大学
③消防士採用試験に合格
④救急救命士の国家試験に合格
⑤民間養成所卒業
⑥消防学校
⑦消防隊勤務
⑧救急隊勤務
安達さんの場合は⑦の時に結婚をし救急隊に勤務をする前に妊娠をしたため救急隊としては勤務をせずにデスクワーク職をしていた。末っ子が中学校を卒業したタイミングで救急隊に勤務をすることを上司に相談した結果、救急隊に配属されることが決まった。
しかし、卒業してから何年も経っているのでさすがに救命士のことを忘れたので学生に混ざって勉強をやり直しに学校にきてた。
子育てもしながら仕事をする姿をかっこいいと思いました。
Q12:救命士の免許書がみたいです。
A:私の個人情報に関わるものにはモザイクをしました。
Q13:救命士の学生時代はバイトはいつまでやってましたか?
A:2年の終わりくらいまでやってました。
Q14:ベンチプレスは何キロあがりますか
A:最近はやってないので分かりませんが、全盛期は120キロ上がりました。そのときは毎日馬肉と牛肉を食べてました。
Q15:関西の学校が舞台なのに関西弁が出てこないのはなぜですか?
A:標準語に直しているだけです。
この投稿は第32回と第33回を編集したものです。
学校に退学したいとの意思を伝えると「両親と相談してからにしてくれ」と言われた。
実家に帰り両親は棟田先生との一件は知っていたようだった。
両親に退学したいと伝えると「だから理学療法士になれて言ったんだ」と言われました。「理学療法士の大学に行っても同じことだった」と思った。
この後の両親の対応は私のことを気遣い続けてくた。1年前とは違いとても暖かさを感じられる人になっていた。これが本来の両親だったのかもしれないことに気づいた。
問題はやめた後どうするかだった。「自宅から通える所にある学校なら入ってもいい」と言われました。しかし特にやりたいこともなかった。もう一回進学したところで途中でやめるだけだと思った。
3月であったのでどこの専門学校も大学も募集をしていないことに気づいた父親から2年生になってから進路を決めるとのこと提案せれました
実家にいると吉家先生から電話がかかってきた。「学科長から聞いたけど、学校を辞めたいとか言っているらしいじゃん?交通費出してやるから学校まで来な。」
学校に行くと吉家先生が個室に案内をしてくれた。「なんで学校を辞めようとしてんの。ここでやめるとかお前はただの半端者だよ。」
私が辞めたい理由を言ったが吉家先生は「そんなの途中で逃げただけじゃん。人生長いんだから今やめる必要ないじゃん、金銭面でも優遇してもらえるんだから。もう少しだけ続けろよ。辞めるのはその時でもいいから。」
私はこの言葉が答えは見えずにいた。
吉家先生は自分の祖父の話をした。吉家先生の祖父はポンプを制作していたらしく、その功績が称えられて知事から勲章を受章されたよう。死に際で「途中で何度か辞めようと一つのことを極めたから人生に悔いはない」
すごく熱弁していたが確かにそうだなと思った。
親と話し2年生の前期の間だけ学校にいることにした。
2年生の最初授業で私の顔を見た時のみんなの反応は様々であった。
「辞めたんじゃなかったの」や「どの面下げてきてんだ」などの否定的な反応もあった。
この投稿は第31回を編集・追加したものです。
別室に事情を話した。
すると生徒指導的な役割の先生が「だからて暴力はいけないよ。君みたいなのが暴れたら誰だって怖いよ。棟田先生は50近いんだよ。」
私は「先に手を出したのは、こいつ(棟田先生)ですよ。話聞いてたんですか。それとも理解力がないんですか。そんな人と話してても時間の無駄なのでこの部屋から出てもらえますか?」と返したことで会議室には緊張感が走った。のちに椎名先生からこのことを聞くと一流の暗殺者の同然のオーラを出していたため誰もが生命の危機を感じていたとのこと
学校長が「落ち着きなさい。」と私をなだめた。
・棟田先生が実技の授業中にふざけていたこと
・自主練の妨害により授業についていけなくなり辞めた人がいること
・授業をさぼってパチンコをしていた学生に対してしゃぶしゃぶをおごらせて出席扱いにしたこと
・人命救助を金儲けの手段だといったことなどの棟田先生への不満を話した。
学校長は「お前(棟田先生)はそんなことをしてたのか。」と少し演技ぽく言った。
更に続けて「今回のことは我々にも非があるようだ。今日は帰りなさい」と言われ帰宅した。いざ一人になると「さすがにやばいかな、自主退学じゃなくて退学処分になるかな」と思った。
数日後、学校長から「今回のことは君の正当防衛と見なすから、君には処分をくださない。今週中にレポートを提出することで進級を認める。」と言われ、安心した
学校長は更に4つの提案をしてきた。
①この件を公にしない
②棟田先生は依願退職とするが退職金は本来の金額の10分の1とする。
③棟田先生は退職したら、学校に出入りしない、学校の関係者(職員・学生)と関わらない
④進級認定金と2年時の前期分の学費は減額される。
①~③は納得したが④だけは納得出来なかった。
私は学校に退学の意思があることを伝えた。
友達の誕生日にプレゼントしました。
私が普段使っている髭剃りとその替刃をプレゼントしました。
髭手て高校の時は母親からもらった電動眉毛そり機で何となったのですが、20歳超えると電動眉そり機じゃ剃れなくなるんですよ
髭剃りて結構消耗品なんですよ。本体を買うときて替え刃を10枚くらい買わないといけないんですよ。しかもいい奴じゃないと肌荒れがするんです。
このカミソリに変えてから肌荒れもなく毎日快適です。
先月、叔母が畑作業中に怪我をしたので見舞いに行きました。叔母に物置からすだれを出すように頼まれたので外に出ました。40代ぐらいの男性が私に話しかけてきました。その男性は雄太君の担任の先生でした。
雄太君てのは叔母の孫(私からのみて従妹の子供)です。
その先生は「雄太君が言うことを聞かなくて困る」を言ってきました。
その先生は私が小学校の時に担任をしていた人でした。私は「親じゃないから知らない」と言ったんですがさらに続けました。
字が汚くて書き直すように言っても書き直さない、合唱の時にふざけるなどでした。
私は再度「親に言えよ」と言いました。しばらくするとその先生は私に気づき「戸狩か、○○小学校の時の、そうだよな」と言ってきました。
「そうだよ」と答えました。
先生は「久しぶりだな。確か、お前も俺の言うこと聞かないやつだったな。てか、どうすればいうこと聞くようになると思う。昔みたいに体罰とかできないからな。教師の言うことを聞くのは当たり前だろ。どうすればいいと思う。反抗的な子供てやばくない?」といました。
私は「じゃあ,お前が日教組辞めればいいんじゃね。さっきからいうこと聞かねとかいてるが。お前だって日教組に入って自民党や政府に色々なこと言ってんじゃん。だからお前の発言には説得力がないんじゃね。お前らがどれだけ世間に迷惑かけてるかわかってんの?子供てのはな本能でわかってんだよ。こいつ裏で変なことしてるか。言うこと聞くのが当たり前にしてるから自分で考えられない大人に育ってじゃねの。」
先生は「日教組は社会を変えるためにやってんだ。」と言いました。
私は「じゃあ選挙に出たら?自分の言っていることが正しい。だからみんな票をいれてくれるて言うなら当選するだろ。」
そして先生は黙って帰った。
東京都知事選挙が始まりましたね‼
史上最多の候補者が立候補しましたね。
その中で最も期待している選手は柔道100キロ超級代表の斉藤立選手です。
彼の父親はロサンゼルスとソウルの2大会で金メダルを取った斉藤仁さんです。現役時は史上最強との呼び声がある山下泰裕さんと8度の死闘を繰り広げました指導者としても優秀で金メダリストを何人も育てました。しかし、2015年に亡くなりました。最後の言葉は「稽古に行け」だったそうです。
父の死をきっかけに柔道に今まで以上に打ち込むようになったそうです。
私がパリオリンピックで見たいのは決勝で絶対王者「テディ・リネール」に一本勝ちをする。そして表彰台でシドニーオリンピックで井上康生さんがしたように父親の写真を高く掲げてほしいです。身長191㎝、体重150キロ以上の巨体。リネールは204㎝体重140キロしかも全身筋肉みたいな体をしてます。
2人ともデカすぎだろ。立は寿司が好きなそうです。優勝したら彼に寿司をご馳走したいです。
2028年のロサンゼルスオリンピックでも金メダルを獲得して欲しい。
親子連覇→親子二連覇は彼にしか出来ない。
この投稿は第29回~30回の投稿を編集したものです
棟田先生が一瞬黙り込んでしまった。いきなり「てめえ、ふざけんじゃねぞ」と大きい声をだした。私の知っているかぎりではその怒鳴り声で3人が失禁したらしい。その中には甲子園に出場経験がある人や元ヤンもいた。
私の方に歩き出し胸ぐらをつかみ顔を10㎝くらいまで近づけて、「お前は人命救助をなんだと思ってんだ。人のことを馬鹿にしてんのか」と大声を出した。
私は棟田先生の声がうるさいだけで「どの口が言ってんだ」とおもった。
私が舌打ちをすると棟田先生は私を殴りだした。殴られている時に思ったのは「こいつがふざけたせいで授業が荒れた。なんでこいつに殴られないといけないんだ。」数十発殴られたことにより我慢の限界がきた。
私は手をつかみ金的をし、顔を思いっきり殴りった。棟田先生は膝を着いた。近くにあったハサミをもって舌で舐めて調子に乗んな老害」と言いった。何人かが悲鳴を漏らしたのを覚えている。ハサミはごみ箱に捨てた。
元救急隊員とはいえ50歳近い人なのでこれ以上のことをしたら大変なことになると思ったので棟田先生がうずくまってくれて助かった。
他の先生が教室に入ってきてその場は収まった。
私は別室に連れていかれ事情を聞かれった。