※ このブログは、平成30(2018)年12月24日から「さくらのブログ」に掲載し続けている『逃病日記』の直近分をコピペしたものです。

 

 

(24.7.8.月)晴れ

 先日は、S君を発熱で預かったばかりだが、今日は、弟のK君が微熱があるため保育園を休ませるので預かってほしいと、LINEで連絡があった。

 37度台なのでそれほどの熱でもないんだが、今日はプール  保育園にはプールはないため近くの『踏水会』を利用する  があり、熱を厳密に測るため、37度台で保育園に行かせても、途中で迎えにくるように連絡があっても困るので、事前に休ませておくことにしたらしい。実家が近くにあるからこその対応だろうが、こちらとしても生活のペースが狂うので、正直なところ、朝イチにいきなり連絡されても困ってしまうが、まあ可愛い孫のことなので、致し方ないところ。ヨメさんは「またかいな」と言いながらも、まんざらでもなさそうだが、私はまだまだ自分自身の〈営為〉を優先したいと思っている。

 お昼ごはんは、熱があって外出するわけにもいかないので、K君の好きなカルボナーラ(冷凍)を作ってやる(?)ことになった。

 お昼からは、Amazon PrimeVideo で『おさるのジョージ』なんかを観て過ごしていた。夕方になって、K君を娘宅へ送り届ける前に、念のために熱を測ったら37度後半だった。それで娘に連絡して、我が家の近くの小児科医院  娘たちも子供の頃にかかっていたこともある小児科医院  に連れて行ってやった。

 診断の結果は口内炎が見られるので「手足口病」ではないかとのこと。保育園でよく流行るウイルス感染症らしいが、そら、休まさなあかんわなぁ。

 どうやら、明日も預からなあかんのやろなぁ。 

 

(24.7.9.火)曇り

 今日もK君を預かることになったが、娘もいろいろと用事があるので、今日一日は休むそうだ。

 S君の「こども携帯」が壊れてしまったので、お昼に我が家の近くにある『ドコモショップ高野』に予約してあるとのことだったので、昼前に娘とK君を川端丸太町宅に迎えに行った。

 ついでに来週のネコのメロンちゃんのお泊まりに備えて、我が家に慣らすためにメロンちゃんも連れ、ネコのゲージも積んで我が家に向かった。娘一家はお盆にフィリピンの『セブ島』に旅行する予定だそうで、その時にもまた預からなければならない。

 我が家についてK君を降ろし、娘は、『洛北阪急スクエア』にお昼ごはんを買いにいっていたが、『肥後ペット』に立ち寄って、なんやらネコのオヤツやネコジャラシなんかを何点か買ってきた。14日と15日の連休に、メロンちゃんを我が家で預かるので、それ用ということらしい。

 さて、我が家に初見参のメロンちゃん、最初の間はアチコチ、ニオイを嗅いでチェックしていたが、しばらくすると慣れてしまって、悠然と我が物顔で寝そべっていた。どうやら猫は犬よりも知らない場所にも早くなれるものらしい。これで連休中の我が家でのお泊まりもなんとかなりそうな感じ。

 娘はしばらく我が家で時間を潰していたが、夕方4時からS君の保護者面談があるので、出かけて行った。K君は、メロンちゃんをじゃらしつつ、Amazon PrimeVideo で『ドラえもん』なんかを観ていた。

 娘から保護者面談が終わって、5時半頃に帰宅できるとメールがあったので、K君とメロンちゃんを乗せ、ヨメさんも同乗して娘宅に送り届けた。

 この後、どこかで夕食でもとろうということになり、手近に白川通りの『王将』に立ち寄った。私はチャーシュー麺を頼んだんだが、何故かスープがぬるいぬるい。冷たいチャーシューを入れたので、スープが冷めたのかもしれない。一応、店員に注意しておいた。よっぽど「アンタこれ食べてみぃ、ほんまぬるいでぇ」とでも言いたかったが、クレーマーと思われてもなんなんで、ひつこく言うのはやめておいた。

 

(24.7.10.水)雨時々曇り

 昨日は、ヨメさんは、表向きはK君を預かったからということでスイミング・スクールを休んだが、最近は、私も特にどうのこうのと言わないようにしている。昨日は、朝起きるなり、お腹が痛い、しんどいなどと言っていたが、今日はやけに機嫌がいい、ほんまようわからんわ。

 一方、私の方は、月・火曜日と孫のK君を預かったのでプールに行けなかったため、代わりに今日、泳ぎに行ってきた。いつもと同じメニューをこなしているが、なかなかスキルが戻ってこない。やはり体力がかなり落ちている感じで、バラフライをしても、以前のように肩や腕が水面より上に上がらない。

 家でダンベルで腕力を強化しているが、重さは以前の半分しか上げることができなくなっている。錘を8枚まで追加して、最大で片方で5キロまでウエイトをかけられるが、現在は4枚ずつで、握り部も含め約3キロぐらいだろう。今後、ひと月でお守りを1枚(約0.5キロ)ずつ増やしていこうと思っているが……。

 

(24.7.11.木)雨時々曇り

 今日は、K医療センターで人間ドックを受けてきた。

 6年ほど前に発病した気管がんは、この病院で発見してもらったこともあって、その後、ずっと信頼してこの病院で人間ドックを受けている。

 6年前には、当初、喉に異和感があり、近くの耳鼻咽喉科にかかったらアレルギー性の症状と診断されて、蒸気の吸入などをしていたが、症状が改善しないため、このK医療センターを受診した。

 最初は耳鼻咽喉科に行ったが、そこから院内の呼吸器内科に回され、そこでCTを撮った結果、「前縦隔腫瘍=気管がん」が見つかった。その時にCT画像を見ながら医師から説明してもらったが、食道と気管の外壁にへばり付くように出来ている腫瘍に圧迫されて気管が押し曲げられおり、医師からは「いつ窒息してもおかしくない状態」と告げられ、急遽、K大病院の呼吸器外科を紹介された、という経緯がある。この腫瘍があったので、喉に異和感があったようだった。

 現在、6年ほど経過して、  抗がん剤投与、放射線照射、免疫療法などの治療の効果で  腫瘍も消失して、経過観察中のため、半年ごとにPET検査、造影剤CT、脳MRIなど画像診断と、併せて、毎回、スピッツ10本にも及ぶ血液検査を受けているので、人間ドックを受ける必要もないようにも思うが、念のために受けることにした。ただ、昨年はオプションで肺CTなども受けたが、経過観察中に受ける画像診断で十分にカバーできるため、今回はパスしておいた。

 病院の駐車場を確保するために少し早い目に家を出たが、朝食抜きで行ったので時間的には十分に余裕があった。病院の駐車場に車を駐め、病院とは別棟の健康管理センターに入ると、すでに20人ほどの受検者が手続き待ちでソファーに座っていた。私も手続きを済ませ、検査衣に着替えたが、同じ時間帯にS血管外科医院を受診しているヨメさんから連絡があるかもしれないので、スマホを持っておくことにした。

 胃カメラや胸部レントゲン撮影などいろいろの検査を受けたが、血液検査なども含めほとんどは経過観察中の検査でカバーできる。カバーできない検査で重要なものは「眼圧」ぐらいのものかもしれない、来年に人間ドックを受けるかどうかは要検討かな。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 最後の胃カメラだけが少ししんどかった。食道近辺が放射線治療の後遺症で少し狭まっていることもあって、ファイバーを食道に入れるときにすんなり入らず、そのうえ咳なんかも出て、えらく難儀をした。胃カメラが終わってから担当医に尋くと、食道に少し傷があるが、嚥下するのが困難なほど狭まってはいない、と言われた。

 今回の人間ドックのすべての検査項目が終わったのが10時半ぐらいで、まあ早い方かもしれない。

 帰宅してからヨメさんに電話したら、もうS血管外科医院の診察を終え、四条河原町の『高島屋』に向かって、『新京極』を歩いているところ、とのことだった。S血管外科医院の医師の対応が悪い、とえらく怒っていたが、今回、同医院を受診した経緯をちゃんと説明できたんだろうか。

 先日、A病院の「物忘れ外来」 を受けた際に、昨年末に受けたMRIの結果を知らされ、脳内血管にプラークがあるので血圧管理をちゃんとするように言われた。

 現在、かかっている病院があればそこで降圧剤を処方してもらうようにとのことで、情報提供書を交付されたので、今日、S血管外科医院を受診した次第。どうもヨメさんの口ぶりでは、本人の説明不足が原因でちゃんとした対応をしてもらえなかったような感じだった。本来なら私が付いて行けばよかったんだが、このS血管外科医院は、主治医がこの医院を開業して以来  ヨメさんは下肢静脈瘤で当初はK大病院でこの主治医に診てもらっていた  20年近く診てもらっていて、主治医をよく知っているので、ついてこなくてもいいと言っていたので同行しなかった。

 しかし、ヨメさんは、昨年末に受けた白内障手術についても、もうほとんど覚えていないし、現在、かかっているA病院の「物忘れ外来」についても、受診の有無やMRIを撮ったことなどの記憶も定かではない。

 てなことだったが、夕方、高島屋に寄って『551蓬莱』の焼売やアイスキャンデーなどを買って帰ってきた。S血管外科医院受診のことを尋ねると、主治医にどんな説明をしたのか分からないが、持参した情報提供書や脳MRI画像のDVDも見せなかったようだった。血圧降下剤も処方されず、アレルギー用のステロイド剤だけを処方されたようだ。

 やはり、もう一人だけで医療機関にかかるのは無理なようだ。医師に対して症状をちゃんと説明できないようだし、医師からの説明もしっかりと覚えていない。

 血圧降下剤については、脳MRI画像があるA病院の内科を、私も同行して受診させようと思う。

 

【今日の読書496※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字

①-21『吉本隆明代表詩選』

①-25『心的現象論序説』

②-44『明治大正史 下』

③-56『人間の由来(上)』

③-57『すごい物理学入門』

④-9『小林秀雄全集7/歴史と文学・無常ということ』

⑥-25 『文庫の読書』

⑦-94『S・フィッツジェラルド・ブック』

⑦-95『アメリカン・スクール』

⑧-18『死の家の記録』(Kindle)

⑨-6『夢・アフォリズム・詩』

⑩-39『プルーストを読む生活』

⑩-44『自炊者になるための26週』

⑪-9『色川武大・麻田哲也エッセイズ1』

⑫-30『小説作法』

⑬ー『死の家の記録』(Kindle/⑧-18再掲)

コメント:今回も、③-55『ありえない138億年史』から、私が印象に残ってマーカーを引いた箇所を引用しておく。長々と引用してきたが、一応、今回が最後となる。

p.303「10億年ほど前に地球のさびつきがほぼ終わり、ようやく大気中の酸素濃度が上昇を始めた。それでは、この段階で火が現れたのだろうか?(中略)この時期の地球にはまだ、燃えるものが何もなかった。地球が燃料を作り始めたのは、そのあとのことである。光合成で生み出された有機物は、乾燥していれば燃える。しかし、地球上の生命は長らく海中で暮らしていたため、燃えることができなかった。従って、植物が陸上で生活できるようになって初めて、地球上に火を生み出すことが可能になった。(中略)海藻などの海中の植物は、浮力を利用して体を支えるが、陸生植物は体を支える硬い部分を発達させる必要がある。この木の構造が、地球上に火を生み出すもとになった。」

p.337「地球は、自然法則で説明できる物質の四態(プラズマ、気体、液体、個体)の領域を超え、それよりはるかに複雑な形で組織された物体(生物)を生み出した。これを機に、ビッグヒストリーにおける新たな領域(「生命」と「人間」)が始まった。自然法則などまるで存在しないと思われる領域である。」

p.339「ビッグヒストリーの全領域にわたる歴史の展開を見る際には、別の二分法を提案したい。それは「連続」と「偶然」である。連続とは方向性と周期性から成り、それらがさまざまの時間枠において、さまざまな形で結びついている。偶然とは、事前に予測できない、歴史に重大な影響を及ぼすまれな出来事を指す。(中略)偶然は私たちの身の周りにあり、それに気づくことも多いが、偶然を明確に定義するのはなかなか難しい。(中略)とりあえず現段階では、ある出来事が偶然に発生したと考えるには、三つの要素が必要だと考えている。第一に「まれ」であること、第二に「予測不能」であること、第三に「重大」な意味を持つことである。」

p.359-360「私たち一人ひとりが現在ここに存在しているという事実でさえ、ほとんど偶然の産物である。一世代か二世代さかのぼるだけで、私たちが生まれる可能性はほとんどなくなってしまう。ちなみに私たちの存在は、前に述べた偶然の三つの要素を満たしている。一卵性双生児でもないかぎり、自分とまったく同じ遺伝子を持って生まれる人など、「まれ」どころか存在しない。また、私たちの存在は「予測不能」であり、少なくとも家族や友人には「重大」な意味を持つ。」

 

今日の映画496】※データは『映画.COM』のサイト等から入手

邦題:『黄色い風土(U-NEXTで視聴)

原題:  

製作年:1961年

製作国:日本

監督:石井輝男

出演:鶴田浩二/丹波哲郎/佐久間良子/柳永二郎

ストーリー:新婚列車の異名をとる準急「いでゆ」、発車を控えた東京駅のホームは贅沢で華やかな混雑が渦巻いていた。取材の仕事のため、列車に乗った雑誌記者の若宮四郎(鶴田浩二)は、発車間際に駆けつけた一組の新郎新婦に目を留めながら、熱海へと向かった。外国人の多く宿泊する一流ホテルにて、評論家との面会を待っていた若宮だったが、宿泊する481号室に、突然「洋服を持ってきました」と伝える見知らぬ青年が闖入してきた。呆然とする若宮は、青年が431号室と間違えたのではないかと見当をつけるが、翌日、431号室に宿泊していた新婚夫婦の夫が、自殺の名所・錦ヶ浦で投身したとの報が入った。警察は自殺として処理するが、前後の状況に疑問を抱いた若宮は、編集部の協力を得て、事件の調査を始める。銀座のバーの女給・由美が失踪し、新婚夫婦の妻のほうではないかと疑う間に、その叔父・長谷川の溺死体が小樽で発見された。北海道へ飛んだ若宮の前に・・・

コメント:評価は5点満点で、映画.COMは  、TSUTAYAは  、Filmarksは3.2で、私の評価は3.0とした。

 往年の大スターの若かりし頃の姿が初々しい。特に鶴田浩二は、「任侠物」に出演し出す前の新聞記者の役が新鮮だ。新婚旅行の行き先が「熱海」であった時代の風物、「昭和」というより戦後の復興期から高度成長期に差し掛かる前の時代で、作中にもまだ“戦争の尻尾”のような話が出てくる。

 

【今日のジャズ496※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手

タイトル:Paul Bley

アーティスト:Paul Bley

レーベル・品番:EmArcy・MG 36092//ユニバーサル・UCCU 9739

録音年月日:1954.2.3/8.27.30

曲名:①Topsy/②My Heart Stood Still/③That Old Feeling/④There Will Never Be Another You/⑤Autumn Breeze/⑥I Want To Be Happy/⑦My Old Flame/⑧Time On My Hands/⑨Drum One/⑩This Can't Be Love/⑪My One And Only Love/⑫52nd Street Theme

ミュージシャン:Paul Bley (p)/Percy Heath (b)/Al Levitt (ds)//Peter Ind (b)

コメント:録音は54年、この時点でポール・ブレイのリーダー作が録音されていた事実に驚きを禁じえない。のちに大胆なフリー・ジャズを演奏する彼だが、ここではオーソドックスなスタイルで新進ピアニストぶりを発揮する。ただ、ビル・エヴァンス (p)に通ずる内省的で斬新な表現は形成されていた。エヴァンスの本格的なデビューが翌年であることを考えれば、このアルバムからはさまざまな思いが頭の中を駆け巡る。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)

<YouTubeライブ映像>

1998 Lee Konitz, Charlie Haden, Paul Bley

Paul Bley - Live in Châteauvallon 1972
Jazz entre amigos - Paul Bley y Lee Konitz (04/08/1990)