← 裏庭の紫陽花。雨の日には一層生き生きする花(拙稿「紫陽花は日本を象徴する花 ? !」より)

 

「翠雨というのは、草木の青葉に降る雨のことです。翠という字を見ると、「翡翠」ということばがふと頭に浮かびます。ヒスイと読むと緑色の宝石に、カワセミと読むと羽が緑色の鳥の意味になります。 そんな綺麗な色を連想させる、翠雨。雨を表すことばは多くありますが、とくに美しさを感じさせてくれます。 」(「翠雨 すいう|旬のもの|暦生活 | 日本の季節を楽しむ暮らし」より)

「「翠雨(すいう)」とは、新緑の季節に降る、若葉を潤す雨のことです。エメラルドのような鮮やかな緑の葉を濡らし、より一層みずみずしく輝かせる様子から名付けられ、「緑雨」や「青雨」「若葉雨」とも呼ばれる夏の季語で、静かで美しい情景を表現する言葉です。」(AIによる概要) (12/22 03:11)

 

 今日日曜日は我輩にとっても休日。雨の中、畑で先日枝葉落としした枝葉や落ち葉などをせっせと片付け掃除。枝葉の遣り場が最早なくて、植木の根元に積み上げていく。生憎の雨だが、昨日からの季節外れの気温で、氷雨ではない。作業着の中も、帽子もずぶ濡れだけど、冷たいってほどじゃない。動き回っていれば、風邪の心配も無用(のはず)。

 その前に納屋で柴(薪)作り。落ち葉(枯れ葉)は、柴ストーブで燃やすのではなく、庭木の下に撒き堆積させる。柴だけ集め(薪は皆無に近い)、柴ストーブで燃やす。焚き火ドンドンは近所から消防にクレームが入ったらしく、消防や警察が来た。苦情は我輩がそのクレーマーに対し警察に訴えたいものだ。ま、非は非として認めないといけないね。 (12/21 23:29)

 作業後は、シャワータイム。今月初めて(か、二度目)のシャンプーを使ってのシャワー。やはり、洗った後の髪の毛の手触り感が違う。髪の毛も喜んでる? (12/21 23:49)

 例によって雨中の庭(畑)仕事に疲れ果て、寝落ちを繰り返しつつも読書を少々。伊与原新著『翠雨の人』(新潮社)を読了させ、ピーター・W・アトキンス著『エントロピーと秩序 ――熱力学第二法則への招待』 (米沢富美子/森弘之訳 ちくま学芸文庫ア-51-1)合間合間に。 ちなみに、奇遇だが、訳者の一人である米沢富美子氏も、猿橋賞負傷者の一人である。 (12/22 04:47)

 

 

 ← 伊与原新/著『翠雨の人』(新潮社) 「猿橋勝子の生涯にわたる科学への情熱をよみがえらせる長篇小説。」

 

 伊与原新/著『翠雨の人』(新潮社)をつい一時間ほど前に読了。読み始めたのは19日。間に仕事の日を挟んでいるから、実質一気読みしたことになる。著者の伊与原新氏は、「神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し、博士課程修了。2010年、『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞。」という方。文章が平明で実に分かりやすい。科学(化学)技術に係る記述も安心して読める。話の道筋の作り方も巧みで、小説を楽しませてもらった。女性として研究者人生を生き抜くしんどさは吾輩ごときの想像を絶するものがあろう。科学についても門外漢である吾輩の下手な感想など無用だろう。一読を薦めるのみである。 (12/22 04:41)

 

 猿橋勝子については既にこのブログ日記でも多少のことは触れた。ここでは、履歴の一部だけ再掲しておく:

「猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 2007年9月29日)は、日本の地球科学者である。専門は地球化学。海洋放射能の研究などで評価された。東邦大学理事・客員教授を歴任。東京生まれ。」(Wikipediaより)
「東京府立第六高等女学校(現・東京都立三田高等学校)を経て、帝国女子理学専門学校(現・東邦大学理学部)を卒業。中央気象台研究部(現・気象庁気象研究所)で三宅泰雄の指導を受けた。1954年のビキニ事件におけるいわゆる「死の灰」による大気・海洋汚染の研究以後、三宅と大気及び海洋の放射能汚染の調査研究を行い評価された。その研究成果は1963年の部分的核実験禁止条約成立に繋がった。」(Wikipediaより)

 

 卑近な話しながら、本書によると、勝子は、芝区白金三光町の自宅から三田の第六高等女学校まで、三十分かけて徒歩で通っていた、とか。我輩は、東京在住30年のうち、81年から90年まで約10年、港区高輪に住んでいた。高輪は白金も三田も散歩界隈。猿橋勝子がグッと身近に感じてきた。 (12/19 14:08)

 さらに、猿橋勝子が、戦後、東京は大田区の池上に暮らしていたとか。大田区中央(池上に隣接)に10年暮らしていた我輩は、ますます猿橋勝子に親近感を抱くようになった。惜しむらくは在住当時知っていたなら……。 (12/21 23:07)