最近の若者は、期待されることを負担に感じるらしいです。

ですから、励ましのつもりでも、上司は部下のタイプを見極めてから「期待している」と言わないといけないみたいです。

確かに、期待に応えようと思うと、少しプレッシャーに感じますよね。

ただ、人って、プレッシャーがあるからこそ、成長できるのですけどね。

 

さて、仕事で指導を受けたり、お稽古事をしていると、大人でも「期待してもらっている」と感じることがありますよね。

期待に応えるために、がんばろうと思えます。

 

私は、人に期待をしないようにしています。

理由は、こっちが期待して、その期待通りにならないと、「期待を裏切られた」とこれまた勝手に相手を恨むようなことになるからです。

 

でも、自分は期待に応えようと思います。

相手の期待を裏切りたくないという理由と、もう一つ理由があります。

それは、相手の「人を見る目」に応えたいと思うからです。

期待するするということは、その人を「見込んで」いるということです。

 

よく「人を見る目がある」「人を見る目がない」と言いますよね。

採用で「いい人材を採用できない」とか、「男運が悪い」とかいうこともあります。

厳しい言い方をすると、採用担当者が、自分の会社に合った人を見極められないってことだし、女性が自分が幸せになれる男性を選べないってことだと思うんですよね。

要するに、「人を見る目がない」ということですよね。

 

私は、私に期待してくれた人に「自分は人を見る目がなかった」と思わせたくないんですよね。

私が期待に応えることで、「自分には人を見る目がある」と思ってもらいたいです。

 

人を見る目は、磨けば養えます。

自分が見込んだ人が、自分の見込み通りだったかどうかを検証していけばいいのです。

見込み通りでなかった時には、その人を選んだ時に、なぜ選んだかを思い出す。

顔や雰囲気に流されて選んでいないか?

 

みなさんは、期待されると嬉しいですか? 負担に感じますか?