今回は石作神社(いしづくりじんじゃ)。所在地:犬山市今井宮ケ洞37
訪問日:2009年12月8日
517句は次の通りである。
石作り疑い知らず赤とんぼ (桐山芳夫)
延喜式(930年頃)に「石作神社」とあるから式内社と思って参拝した。創建は 寛平3年(891年)であり、延喜式よりも前で間違いない、と思われたので。ところが、天神社から石作神社と改称したのは明治初年という。延喜式当時は石作神社と言っていたかも知れず、疑っては際限がなかろう。
518句は次の通りである。
石碑言ふ江戸に作ろふ冬景色 (桐山芳夫)
本殿に向かって急勾配の石段を登っていくと、古い石碑があった。大きな文字で「文政十一子ノ年十一月吉日」と刻印されていた。文政十一年と言えば、西暦1828年。なんと江戸時代の石碑だ。古くても明治、大正時代の灯籠や狛犬が多い神社にあって、めっけものだった。
519句は次の通りである。
鷺の立つ寺子屋に似し神楽殿 (桐山芳夫)
当社は学問の神様、菅原道真公が祭神のひとつということで、子弟を集めて寺子屋風に教育をしたようである。むろん、本来の神々に対する神楽舞なども行われていたに相違ないだろうが、、、。
520句は次の通りである。
美しき本殿ありて鷺一羽 (桐山芳夫)
当社は拝殿と本殿が一体となって造作され、全体がコンパクトで美しい殿舎に仕上がっている。その祭神は、天照皇大御神、菅原道真、大己貴命、小彦名命、菊理姫命の五神となっている。私が合掌しているとき、どうしたわけか一羽の鷺が立っていた。
521句は次の通りである。
枯葉散る左右に狛犬立ってをり (桐山芳夫)
殿舎の前に石作の狛犬が立っていた。刻印を見ると、大正8年(1919年)とあって、これも相当古い造作であることが分かった。
(2022年3月5日)