今回は名古屋市熱田区熱田神宮1-1-1。熱田神宮摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)。訪問日:2011年1月29日

     391句は次の通りである。
        母の宮上知我麻坐す春近し        (桐山芳夫)
 熱田神宮内に鎮座まします式内社に上知我麻神社と下知我麻神社がある。元来は市場町にあった神社だったが、途中から熱田神宮に移されたようだ。さて、ここに不思議なことがある。下社の祭神は乎止與命(おとよのみこと)で、宮簀媛命の父神である。これに対し、当社は「眞敷刀俾命」(ましきとべのみこと)で、宮簀媛命の母神である。

     392句は次の通りである。
      あら不思議母上父下冬の怪          (桐山芳夫)
 大方ご承知のように、神社にあっては上社が上位、下社が下位となっている。ところが、知我麻神社の場合、上社が神宮本社から一番遠い最南部に造作されている。これは不思議というわけだが、式内社だった頃、母神は上位だった可能性もあるのではなかろうか。日本の最上位神は天照大御神だった例もある。つまり、本宮と上社は対等だったのではなかろうか。

     393句は次の通りである。
      晩冬や参拝多し上社なり           (桐山芳夫)
 上知我麻神社は神宮最南端に位置し、境内も広々として、本宮並みに造作されている。神宮の一番最南端の第一鳥居をくぐると、そのすぐ左手(西側)にあり、晩冬にもかかわらず、参拝客が多かった。

     394句は次の通りである。
      意外なり母社参拝冬の客           (桐山芳夫)
 相対的に熱田神宮の参拝客は冬季に少ない。ところが、意外なことに一番遠い上知我麻神社には普段より冬季でもそれなりに参拝客が多かった。ここは前記したように、尾張氏の母方の社である。

     395句は次の通りである。
      我もまた人々と同じ上社詣で         (桐山芳夫)
 上社の祭神は日本武尊の后となった宮簀媛命の母神である。尾張国を支配したのは下社の祭神である乎止與命すなわち父神である。が、日本武尊といえば、古代の英雄中の英雄である。その后となった娘を生んだのが上社の祭神とあれば、古代では上位神だったのではなかろうか。

                  (2021年10月19日)