第188句は次の通りである。
         桜咲くどこの並木も美麗なる       (桐山芳夫)
  立春が目前に迫ってきた。3月から4月にかけて私は桜の句を多く作った。全国に桜の名所は数え切れないほどある。名古屋市ないしその近辺にも。たとえば昭和区鶴舞公園、瑞穂区岩崎川、岩倉市五条川等々。さらに私の場合は尾張式内社巡りを行なったので、多くの神社を訪ね歩いている。どの神社の桜も桜並木も美しかった。

     第189句は次の通りである。
       月愛でて仰いでみれば節分会       (桐山芳夫)
  名古屋市南区に笠寺観音がある。その観音様の本殿前で「福は内鬼は外」と叫んで豆まきが行われる。その豆袋を拾うために数回寄ったことがある。相棒も二回ばかり連れていったことがある。帰りにそこの商店街に寄ってぶらぶらしていると、日が落ちてきて月が顔を出す。節分会はいうまでもなく「せつぶんえ」と読む。

     第190句は次の通りである。
         家居して桜乞うほか術も無く       (桐山芳夫)
  これは昨年3月下旬に作句したもの。近隣の中村公園まで出かける元気がなく、新型コロナもあって家居するしか術がなかった。けれども桜並木が見たくてたまらなく、家でじっとしていながらも、桜を懇願していた。今年はなんとか足を運ぶことができようか。

     第191句は次の通りである。
         赤鳥居桜満開鳩数羽       (桐山芳夫)
  近隣の中村公園は例年なら桜満開の時期になると、とことこ歩いてよく公園まで出かけたものである。巨大な赤鳥居にはしばしば鳩が止まっていた。人の往来が激しくても鳩たちは逃げることもなく、鳥居で遊んでいた。

     第192句は次の通りである。
       どんちゃか花の鶴舞園隠し芸       桐山芳夫)
  かって、居酒屋のママさんと二人で、毎年のように鶴舞公園に桜を見に行っていた。鶴舞公園は第188句で述べたように、名古屋市内の名うての桜の名所である。そこの広場に桜見に色々な人々が集まってきて歌い、舞い、そして、隠し芸を披露。私どもはその近くの茶店でダンゴを食べて目前にも咲いている桜を楽しんだものだった。

                ( 2021年1月31日)