第178句は次の通りである。
菜の花や渥美灯台海広し (桐山芳夫)
渥美半島には幾度も行って外国人と立ち話をした思い出がある。その途中に黄色い菜の花がいっぱい咲いていて、恋路が浜にたどりつくと、その先に灯台がある。あるとき、灯台に東南アジア人とおぼしき若いカップルがいて、立ち話をしたことがある。彼らは英語が流暢だったので、フィリッピンの人かも知れない。
第179句は次の通りである。
海外のカップルと出合う恋路浜 (桐山芳夫)
前句の海外人とはほんの数分間話しただけ。なので、何を話したのか全く覚えていない。が、渥美半島の先端で外国人のカップルに出合うとは思ってもいなかった。その意外性に驚いた。いやあ、外国人のカップルが、通常は知らないだろう、渥美半島に来るなんて・・・。
第180句は次の通りである。
押し込まれマフラ-苦し山手線 (桐山芳夫)
東京在勤中山手線で通勤していた頃の通勤地獄。池袋を経由して通っていたが、しばしば駅員に押し込まれ、何とか満員電車に乗り込むのはしょっちゅうだった。とくに冬場はコートやマフラ-で乗り込む人が多く、押し込まれた体勢のままなので、マフラ-に顔が当たると、身動き出来ず苦しかった。
第181句は次の通りである。
芝に腰下ろして梅見お弁当 (桐山芳夫)
今頃は岐阜の梅林公園は梅見の人々で賑わっているだろう。もうすぐ立春である。これから梅林公園は梅見の人々でにぎわってくる。名古屋の鶴舞公園の桜の時期ほどではないが、お弁当を広げて楽しむ人々が多くなってくるだろう。
第182句は次の通りである。
大銀杏津島神社や朱の鳥居 (桐山芳夫)
愛知県津島市の津島神社は有名な割に訪ねることもなかった。が、実際に訪ねて見ると素晴らしい神社だった。「その子はたちくしにながるるくろかみのおごりの春のうつくしきかな」で有名な歌人(与謝野晶子だったかな)の歌碑が目についた。が、後で知ったのだが、当社は織田信長や豊臣秀吉も信仰していたという。道理で有名なわけだ。
( 2021年1月23日)