第173句は次の通りである。
      幾たびも熱田参拝春うらら        (桐山芳夫)
  「熱田さん」すなわち熱田神宮は幾度も参拝に訪れた。特に春期に多く訪れた。熱田神宮は人も知る官幣大社。尾張氏の祖とされる熱田大神を祀り、かっての英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その后、宮簀媛(みやずひめ)等々を祀る。むろん古代から伝承される古社。

     第174句は次の通りである。
       群がって餌を漁るや百合かもめ        (桐山芳夫)
  ユリカモメは私の最も大好きな小形のカモメ。名古屋市中川運河の小栗橋に行くと見ることが出来る。名古屋城近辺等でも見ることが出来る。古来、都鳥(みやこどり)の名で詩歌に詠われてきた。餌をまいてやると寄ってくるかわいらしいカモメ。

     第175句は次の通りである。
        春遠し家まで送られパトカ-に        (桐山芳夫)
  むろん、これは昨年の今頃。私があまりにふらふら歩いていたので、パトカ-が路傍に停車。警官に呼び止められ、事情を話して「大丈夫です」と言った。が、「連絡を受けたので」と言われ、家の中まで運ばれた。パトカ-なので、「何事か」と思われたかと思い、いや、その恥ずかしかったこと。

     第176句は次の通りである。
         雲流れタンポポ畑友恋し        (桐山芳夫)
  これは大分以前のことだが、私は、長いこと海部郡七宝町の医院に通っていた。呼吸器に難点があって毎月通っていた。その医院の前にタンポポ畑があって、その畑を眺めていたら、ふっとタンポポが縁で知り合った友のことを思い出した。あの友は今頃どうしているのだろう、と思って作句。

     第177句は次の通りである。
       篠島は春風受けて船はゆく        (桐山芳夫)
  退院後ちょうど一年が過ぎた。これはその頃の作句。それまでは、知多半島の篠島(しのじま)に、ちょくちょく行っていた。相棒と共に行っていたのだが、そこの食堂の女将さんに二度、三度と篠島の見所を案内され、懐かしくてならない。元気になったら、もう一度、もう一度だけでも篠島に行きたい。

                ( 2021年1月20日)