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伊多波刀神社(いたはとじんじゃ)・・・その1  ・・その2へ
所在地:愛知県春日井市上田楽町3454
訪問日:2010年3月16日
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 伊多波刀神社(いたはとじんじゃ)は、春日井市の北西部に鎮座する。長さ2、3百メートルに達する参道を持つ堂々たる大社である。春日井市の神社中でも最大級の神社の一つと言ってよかろう。当地の「田楽町」は、通常「でんがく」と読まれそうだが、実は「たがら」という珍しい地名だという。「尾張式内実訪書」の中で野村氏は尾北古窯跡群から発見された瓦に「多楽里張戸連」との銘があることを記している。なるほど「多楽」では「でんがく」とは読めない。
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 鳥居をくぐると昔ながらの長い参道が続いている。季節がまだまだ早かったが、あと2週間すればさぞかし美しい並木になっていたに相違ない。
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 参道途中西側(左手)に美しい鷹来小学校の校舎が見える。読み方が分からなく、地元の方にお聞きしたら「たかぎ」ということだった。
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 鷹来小学校の前を通り過ぎて歩んでいくと、楼門が近づいてくる。大社を予感させる立派な楼門だ。
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 楼門をくぐると、広々とした境内が広がっている。美しい樹林が広がっているのも見て取れる。
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 両側に大きな燈籠が立っていて、その間に立派な透垣(すいがい)が控えている。
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 その透垣の裏に拝殿が控えている。社頭掲示を読むと、その由緒が、非常に分かりやすく、かつ、詳しく記されている。私の拙い解説などよりよほど優れている。全文を紹介するので一読願いたい。
 「この地は古代より中世にかけて、味岡の庄と呼ばれ、その総産土神として、近榔十七ケ村の崇敬を集めていました。
 本殿に七柱の神様をお祀りしています。その中の高皇産霊命は天孫瓊々杵命の母方の祖父に当る方で、景行天皇42年(西暦112年)8月15日の創建と伝承され、延喜神明帳に記載されている神様である。品陀別命、息長足姫命、玉依姫命の三柱の神様は武家の崇敬篤い八幡三神と云われ、古代末から中世にかけて勧請されています。そして社格もいつしか八幡宮と呼ばれるようになりました。明治になって伊多波刀の社名に復したことは数ある棟札からも明白であります。
 大山祇命、 伊豆能売命、市杵島姫命の三柱の神様は、明治43年11月1日に田楽権現と郷中に祀らいおられたのを御遷座し奉つて合祀された神様です。
 そして、大正6年12月30日に岩野町の八幡社祭神、品陀別命を御遷座し奉って合祀されました。」
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 拝殿の奥に鎮座するのが本殿だが、もう少し詳しく正確にいうと、神楽殿、幣殿(通常ここが拝殿)、本殿ということになるのかもしれない。
 ここで、先掲の社頭掲示に若干補記しておこう。先ず、神名の読みだが、これまでたびたび登場した神々であり、かつ、掲示板後段に読みが記されていて、なんとか読み取れると思うので、もう繰り返さない。
 次に、「伊多波刀」は「板鳩」と記した時期があるようで、「愛知の式内社」は、天野信影の「板に鳩の絵を描いて奉納した」という説を紹介している。しかしそれなら「板鳩」自体に意味があるので、簡単に「伊多波刀」と表記が変わるとは思いにくい。そもそも、平安初期の延喜式神名帳に「伊多波刀神社」とある。「板鳩」が「伊多波刀」より古いとはとても思えないので、ここはすなおに「伊多波刀」は「伊多波刀神社」の「伊多波刀」に由来している、と考えた方がすなおだと私などは思う。
 なお、当社は内容が豊富で、一回ですべてを紹介できない。あとは次回に回したい。