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諸鍬神社(もろくわじんじゃ)
所在地:愛知県愛西市諸桑町郷城 74
訪問日:2010年1月25日
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 当社は初めて訪れる人には見つけるまでに時間がかかるかも知れない。路地を入っていった住宅街にあるからである。幸いにも私はぐるぐる回っていたら、偶然にでくわすことができた。
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 鳥居をくぐると拝殿の前である。
 諸鍬神社(もろくわじんじゃ)は尾張国内にもう一社ある。犬山市にあるのがそれだ。ただし、犬山の社は社名の文字も異なるし、郡も異なる。すなわち、当社は「もろくわ」を「諸鍬」と表記するのに対し、犬山社の方は「諸鑃」と表記している。では、いずれが式内社の「もろくわじんじゃ」か、という質問が出そうだが、答えはあっさりしている。いずれも資格十分といってよいのである。神名帳には「海部郡諸鍬神社」と「丹羽郡諸鑃神社」の両社とも記載されている。つまり、平安時代から二社が異なる郡で各々鎮座していたことを伝えている。各々は朝廷から幣巾(一種の補助金)を支給されていたわけで、二社の併存に疑問はないのである。
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 これが拝殿だが、舞殿としても使用されるのか、周囲は開放されている。犬山社とは別社であるため、その祭神が異なるのも当然である。犬山社が軍神たる建御名方命(たけみなかたのかみ)であるのに対し、当社は天諸羽命である。もっとも、長崎県の対馬に天諸羽神社というのがあるのは知っているが、具体的に天諸羽命がどんな神なのか私は知らないけれど・・・。
 「尾張式内実訪書」は、当社の祭神は、対馬の天諸羽神社の祭神、宇摩志摩治命、天兒屋根命、雷大臣と同様という説があることを記している。あるいはそうなのかもしれない。 当社の由緒は不詳のままだが、「諸桑」という地名から推して、ずっと古来から当地に鎮座していたのではないだろうか。
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 本殿は最奥に置かれるのが常だが、むろん当社もそうである。最奥に見えるのが本殿である。
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 式内社調査も「尾張式内実訪書」も境内社に言及していないが、ごらんのように「塩田龍神社」というのが一社鎮座している。
 当社の鎮座する地域は旧名は海部郡佐織町。木曽川や日光川の河口に近く、往古は当然ながら、現在、なお氾濫の脅威に晒されている。人々の守護を願う気持は私たち外部の人間の比ではないに相違ない。