小山孝次のこれまでの歩み~出生から小学校~ | 絆をつなぐサポーター 足立区出身の行政書士の歩み

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自分の棚卸をしてちょっと懐かしく思った足立区鹿浜の行政書士 小山孝次です。


行政書士試験に合格してから今日までブログでもリアルでも


たくさんの方と出会うことができました。


そしてこのご縁をこれからもずっと大切にしていきたいと思いました。


それにはまず「自分がどんな人間なのか?」を


少しでも知っていただくことが大切ではないかと考えて


これから何回かに分けて自分のプロフィールを書いていこうと思いました。


読んでいただき少しでも自分の事を知っていただけたら嬉しいです。


【出生】

1982年9月13日に東京都足立区鹿浜に2人兄弟の次男として生まれました。


生まれたころの記憶は全くないのですが(覚えている人は少ないですよね^^;)、


元気で活発たっだそうです。


そして2歳になった時に父の転勤で家族4人で香港に移り住むことになりました。


4歳の兄と2歳の自分を連れて見知らぬ土地で言葉も通じないところで(近くに父親の


同僚も住んでいたそうですが)不安がある中で子育てをした母はとても強い人だとこうして


振り返ってみて改めて感じてます。

【小学校】

香港には5年間住み小学校2年生の時に実家の足立区に戻ってきました。


今でも覚えていますが、帰国子女だった僕はかなりクラスではヒーローでした。


でもそんな輝かしい日々も1週間で終わります(笑)


そして僕にとってとても大きな出来事が起きました。


それが小学5年生の時のおじいちゃんの「死」でした。


それまで人の「死」というものがどういうものか理解はしていましたが、家族が亡くなったのが


初めてでどこか「死」というものをうまく言えませんが、別の次元のものと考えていました。


大好きで尊敬していたおじいちゃんとの3年間の暮らしでたくさんのことを学びました。


父はどちらかというと温厚であまり叱る人ではなかったのですが、その分おじいちゃんは


ちょっとしたいたずらや行儀が悪いときは本気で叱られました。


反面、テストでいい点数を取るなど良いことに対してはすごく褒めてくれました。


その他にも友達と遊びに行くまで縁側におばあちゃんと3人で座って自分の戦争体験など


たくさんのこと教えてもらいました。


そんなおじいちゃんが病気で入院することになり、小学生の自分にはまさかひどい病気だとは


知らず、すぐに帰ってくると思っていました。


病院に見舞いに行っても毎回、車いすにおじいちゃんを乗せて病院のフロアを散歩していたのですが、


今思うと病気で辛いのにそんな顔を微塵も見せずに笑顔で20分近く付き合ってくれていました。


そんなおじいちゃんの「死」はとても辛いものでしたが、どんな時でも辛さを見せない強さと


人の「死」というものが本当の意味で悲しいものだと学びました。



中学校から高校までのプロフィールはこちらです。



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