ママ、私、カトリック教徒になろうかな。


と、ある日、娘から電話がかかってきた。

娘は独立して東京に住んでいる。


小学校からカトリックの学校に通っていた彼女は高校生の頃からずっと考えていたらしい。


私は「自分がそうしたいなら、そうしなさい。」

と答えた。


私は新興宗教以外の宗教に偏見はない。


私自身は無宗教に近い。

だが、どんな神も敬う心は持っている。


私もカトリックの学校に通っていたから聖歌も歌えるし、お祈りの文言も覚えている。

だから教会へ行けば十字切ってお祈りをする。


家の近くの神社や寺院の前を通る時には必ず拝礼するし、お参りもする。


そして家にあるご先祖様の写真の前で、毎日ご先祖様に話しかける。


寝る前には守護霊様にもお礼を欠かさない。


大きな木を見つけたら、木の神様、精霊に話しかけたりもするし、植物にも話しかける。


全ての物に神が宿っている気がするからだ。


私の宗教観では仏様やキリスト様、アラーの神様はお友達同士なんだろう、と思っている。



神様は皆、神様であられるから、ケンカもなさらないだろうし、誰か一人が代表になるために、戦われたりはしないだろう。

誰か1人を選ぼうとするから人間同士が戦争になったりするのだ、と思ったりもする。


だから私はどの神様にも敬意を払う。


人間、心の拠り所は必要だ。

私はどちらかというと、神社によくお参りをする。

空気感が私に合っている気がするからだ。


娘は教会⛪️を選んだに過ぎない。

それで娘の心が洗われるならそれで良い。


娘は週一回、講話を聞きに教会に通い、奉仕活動を続け、来年、入信式をするらしい。


良い事だな、と思っていた矢先、娘から電話が入った。


彼氏が「自分と神様、どっちが大事なんだ?」って聞くの。


との事だった。

あぁ、これは大変、笑


彼氏にしたら、彼女の週末の1日を神様に取られてしまうのだ。

よく女性が男性に言うところの、

「私と仕事、どっちが大事?」

の感覚だ。


そして、カトリック入信なんて、何か悩み事があったのか?と尋ねられたらしい。

悩みがあるなら何故、自分に相談してくれないのだ、と。


私は娘の彼氏の人柄を良く知っている。

今時、こんな好青年がいたのか!!

と驚くぐらいの好青年だ。

娘に一途だし、とても大事にしてくれている。

優しさといったら、涙が出るほど優しい。


私も妹夫婦も太鼓判を押した、何処に出しても恥ずかしくない立派な男性だ。

仕事も出来るし、老若男女に好かれる。



きっと週末に娘に会いにくくなるのと、可愛い嫉妬心から出た言葉であろう。


彼は、デートがある時にはそっちを必ず優先して、講話はお休みする、という娘の言葉で納得してくれたらしい。

講話は一年だけで、後の教会通いは自由だ。

だから、一年だけ許して欲しい、と伝え、理解を得たらしい。



日本における宗教にはそう言った危うさを孕んでいる。

無宗教な人が多いから、特別な宗教に入る人を、自分とは違う世界の人間のように思ってしまう。

そこに寂しさや、不安を覚えてしまう。


娘には言い聞かせた。

彼が居てこその宗教だ、と。

彼を決して疎かにしてはいけない。

彼が一番大事だと伝えなさい、と。

今、宗教を優先しすぎて彼を失うことに耐えられるのか?と娘に聞いたら、答えはNOだった。


自分の身の回りの大切な人達が優先。

そんなこと、神様は分かって下さるから心配いらない。

神様は教会に行かないと会えない訳ではない。

神様は自分の心の中にいる。


娘の彼氏よ、今しばらく大きな心で娘を包んであげて下さい。

私からのお願いです。泣くうさぎ笑