大学生の頃、とにかく私は大人、と言うものに憧れていた。

バブルの残り香が漂っていた頃である。

バブルはだいぶ崩壊しかけてはいたが、まだまだ高級品が溢れ、学生でもブランド品を持ち、贅沢を満喫していた時代だった。


その頃お付き合いしていたのが今はもう別れてしまった元主人なのだが、早春に旅行に行こう、という事になった。

私の両親は厳しかったので、男の子と行くとは言えない。


そこで、友達カップルが行こうとしていた、金沢の山中温泉に日程を合わせて行くことにし、両親には友達と行く、と了承を得た。

もちろん最初から最後まで、行動は別々だが、何かの時に口裏合わせが出来る、と考えたのだ。

若さ、とは愚かなものだ。笑


ワクワクしながら宿泊する旅館選びに入った。

とにかく大人の真似をしたかった私達は、高級旅館のガイドブックを眺めた。

背伸びをして豪華な旅館に泊まりたかったのだ。


旅行会社のパンフレットに簡単には載っていないような所を探し、ついに風情が素晴らしい旅館を見つけた。


そこは「よしのや依緑園」という創業800年の超が付く老舗旅館だった。

吉田茂や佐藤栄作らが宿泊し、なんと昭和天皇までいらした、という本物の一流旅館だ。


当日、大学生であった私達には一泊7万円という宿泊代は高額であったが、それは全て彼が用意してくれた。

その頃はバブルなので、割り勘、という概念のない時代であったのだ、笑

30年前の貨幣価値なので、今だと10万円くらいの感じであろうか。

元主人よ、贅沢をさせてくれてありがとうございます、笑


当日、私達はクルマで3時間かけて金沢に入り、1日目は金沢全日空ホテルに宿泊し、2日目に旅館に到着した。

風光明媚な場所で、目の前に川が流れ、とても静かだった。

まずは重厚な作りの玄関に圧倒された。

空気感からして違うのだ。


私達は大人のフリをして、緊張を隠しながら中に入った。

中も素晴らしく雅やかだった。

客室に行くまでに、能舞台まであり、その美しさに感嘆した。

もう宙に浮いているような気分で、どうやって部屋に案内されたか、覚えていない、笑。


部屋の窓からは川が一望出来、素晴らしい景色である。

そして落ちついた色合いの緑の景色、温泉の質、共に素晴らしい、としか、表現出来ないほど素敵な旅館であった。


そして金沢と言えば、カニ🦀である。

カニだけではなく、さすがに小京都、と言われるだけあって、とにかく何を食べても美味しい。

私達は夕食を楽しみにしていた。


お部屋での夕食が始まり、一品ずつ、素晴らしい料理が運ばれて来た。

中居さんも気づかないほどの足音で、空間に違和感を感じさせなかった。

きっと厳しく教育を受けていたに違いない。

料理は言うまでもなく絶品で、一流の料理人が腕をふるっているに違いなかった。


舌鼓をうち、中盤に差し掛かった頃、旅館の女将が挨拶にいらした。

私達の緊張はマックスに達した。

こんな超のつく、一流旅館に自分達が身分不相応な事は分かっているからだ。

まだ子供のような私達だったが、宿帳には結婚しているかのように、同じ姓で書いたような記憶もある。

お金を払ってはいても、ここに来るにはまだ人生経験が足らなさすぎた。

親に連れてきてもらえる子供なら、それで構わない。

が、私達は大人に成りきれていない大人だった。

私はその時、あまりの恥ずかしさにこの旅館を選んだ事を後悔したくらいだ。


そして女将は流れるような仕草で畳に膝をつき、三つ指をついてご挨拶して下さった。

女将は確か割と小柄な方だったと思う。

思う、と書いたのは緊張しすぎて、よく覚えていないのだ。

でもお顔と姿勢はよく覚えている。

キリッと引き締まった白く美しいお顔に、背中に物差しが入っているのでは?と思うほどの姿勢の良さ、何よりオーラが凄い。

一瞬にして客室に光が舞い降りた。


「あぁ、これが一流旅館の女将と呼ばれる方なんだわ。」と思った。

そんな女将が、ちっぽけな小娘に頭を下げてくださり、料理のお味が口に合うかを聞いてくださり、私達が緊張しているのを察してか、朗らかに話しかけて下さった。

もう感動しすぎて、その後のお料理は何を食べたか、分からないくらいだった、笑。

商売だから、心ではバカにしていても、お客様にはそう接するのでは?と思う方もいるかも知れない。

が、その時の女将のお顔は本当に歓迎して下さってるお顔であった。

私は感受性が強いので、人の気持ちが何故か分かるのだ。

女将の暖かい気持ちは確かに私の胸に流れ、伝わって来ていた。


大人に近づきたかった私達だが、まだ踏み込んではいけない世界があるのだな、とその時悟った。

だが恥ずかしさでいっぱいになった反面、その時の高揚した、何とも形容し難い気持ちは今でも鮮明に覚えている。


年月は流れ、結婚、出産、と私は自分の人生を歩むのに必死だった。そして怒涛の時を超え、離婚に行き着いた。

最近ようやく心の平穏を取り戻した所だ。


そんな時、テレビを見ているとCMで、見たことのある景色が映し出された。

心臓がバクバクしだした。

なんと、よしのやさんだったのだ!


私の頭に瞬時に昔の思い出が蘇った。

だが、驚いたことに、あの当時のよしのやさんではなく、愉快リゾートと提携したようで、旅館が趣きは残したまま、リニューアルされていた。


あぁ、時代は変わったのだな、と思った。

あの静かな佇まいはリゾートになってしまった。

でも私は不遜な言い方で本当に申し訳ないが、偉い!と拍手を送りたくなった。


時代の波には逆らえなかったかも知れないが、新しい息吹を吹きこんだのだな、と思った。

そこに至るまでのよしのやさんの一族の方達の憂い、なされた苦労、どんな事をしても800年の伝統を絶やすまい、という老舗のプライド、そして信念が感じられて涙が出そうになった。


私はあの当時の女将がお元気でいらしてるのなら、お伝えしたい。


「女将に憧れ、あんな女性になりたい!と思っていた小娘であった私も、苦労を重ね、ここまで来ました。

栄光と挫折を味わい苦労はしましたが、私は私の過去も含めて私なのであり、生きている限り、リニューアルして生きて行くしかないのです。

旅館も、そして私も、この時代を一緒に乗り越えて行く同志なのだ、と思います。


女将、あの時は私達のような若者を大切なお客様、として平等に扱って頂いたこと、本当に感謝しております。

心に残る思い出を作ってくださった女将と当時の「よしのや依緑園」を私は一生忘れません。」