「本来人間は、

神の主管のみを受けるようになっています。

神様のみが人間の主人でなければなりません。」

              (55-109 1972.4.1)

 

神の王国              

 

神の王国には、宗教、政治、経済が付随するとしても、

それらから神の王国が生まれるのではありません。

神の国は根本的に、人間と神様の関係性に基礎を置くのです。

天一国憲法も同様です。    

  文亨進二代王様の御言 (待ち望む王国 2016.12.18)

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2024年 年頭標語

 

地球村 本郷の里

文京の森 ”心情信仰”を軸に生活する  一本木独立聖殿

 

ヤマトの心の日記 

2024年4月3日 (360〉 24-158

360 何故、霊的問題がここまで大きく浸透してきたのか?それは、温床地帯になっているからです。

 

当ブログは、これまで、360回にわたって投稿してきましたが、いよいよです。!

 

ミクロコスモス、マクロコスモス。

個人から、天宙まで、大審判の最後の結実を迎える時やってきたようです。

皆さん、「原理講論」総序の下記のみ言をどう理解しますか?、

 

「なんだ、これは、過ぎ去った中世キリスト教社会のことで、今の自分たち(社会、環境)とは関係ない」と思いますか。それとも、

確かに、今も、私たちの周辺に見受けられる問題としてだと感じさせられますか?

私は、リマならぬリマで与えられたこのみ言に、 実に多くの示唆を与えられ又、考えさせられました。

 

 

 

総序から、  一部引用開始

 

「すべての人類の救済を標榜して、二〇〇〇年の歴史の渦巻の中で成長し、今や世界的な版図をもつようになったキリスト教の歴史を取りあげてみよう。

 

ローマ帝国のあの残虐無道の迫害の中にあっても、むしろますます力強く命の光を燃え立たせ、ローマ人たちをして、十字架につけられたイエスの死の前にひざまずかせた、あのキリストの精神は、その後どうなったのであろうか。

 

悲しいかな、中世封建社会は、キリスト教を生きながらにして埋葬してしまったのである。

この墓場の中から、新しい命を絶叫する宗教改革ののろしは空高く輝きはじめたのであったが、しかし、その光も激動する暗黒の波を支えきることはできなかった。

 

初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。

 

神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻す者たちが現れたとしても無理からぬことである。

 

このようにして現れたのが唯物思想であった。かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。共産主義はこの温床から良い肥料を吸収しながら、すくすくと成長していった。

彼らの実践を凌駕する力をもたず、彼らの理論を克服できる真理を提示し得なかったキリスト教は、共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである

 ~  ~

現実は、キリストのみ言に対する実践力が失われ、灰色に塗られた墓場のごとく形式化してしまった現下のキリスト教の実情を、そのまま浮き彫りにする代表的な例だということができよう。」

 

   引用終了

 

現在、JSCで進行中の霊的問題が、ここまで浸透して影響力を持つようになったのは、そのようにさせてきた諸条件が、JSC内に多々有ったからです。 

   

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ps    

井田さんへ、 貴男への懐疑の解明と追及は、あなたが ”旗織を鮮明”にしない限り決して終わりません。

 

私からの、多くの問い合わせ内容を知っていながら(それは確認済みです)

自身の主張、信仰,信念を明らかにせず 沈黙し続けるのは 公認講師として、実に、無責任であり卑怯だと言わざるを得ません。

 

2024年4月3日(水曜日) 

 

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