その1
「避難計画」で
犠牲にされるもの
そもそも、今年のような大雪で
避難できるのでしょうか
昨年から柏崎でも住民参加の原子力防災訓練が実施されています。
今年は年末から1月中旬までの大雪で「こんな大雪の時に原発事故が起きたら、原発の近くにいても逃げることはできない」と実感した人は少なくなかったのではないでしょうか。
町中でも車が動かせませんでした
大雪だけでなく5㎞圏内のPAZでも、5~30㎞圏のUPZでも、まだまだ、たくさんの課題があります。
「柏崎市原子力災害広域避難計画」における今後の課題→
https://www.city.kashiwazaki.lg.jp/material/files/group/19/10_kadai2020_9.pdf
しかし、今後どのようにブラッシュアップされたとしても、根本的に「避難計画」はいくつもの犠牲を前提としている計画です。
福島第一原発の事故を振り返ればわかるように、原子力発電所でひとたび事故があれば、住民は多くの物を失うことになります。
・生まれ育った家
・大切に育てていた農作物や草木
・可愛がっていたペット
・積み重ねてきた生業や生きがい
・地域の人間関係
・自然の恵み 等々・・・
これら、一つひとつが、私たちの「穏やかで豊かな暮らし」を作っています。
うちのねこちゃんとのくらしが・・
放射能のない自然災害なら、
ふるさとを復興できます
中越沖地震の記憶
自然災害だけならば、原発災害のように根こそぎ日常生活が失われることはありません。
中越沖地震を思い出してください。
仮設住宅に住んでいても、家の片づけや畑に通っていた人は大勢いました。
そこで隣近所の人と励まし合うこともできました。
稲刈りが始まると元気になったお年寄りもいました。
子ども達は2学期からは、それまでと同じ学校に通い、いつもの友達と学ぶことができました。
大人たちは、昨日までのくらしの取り戻そうと、故郷を離れることなく、それぞれの生業の中で、復旧と復興に力を注ぐことができたのです。
中越沖地震 柏崎市の焼却場
原発事故で避難するとき
私たちはこのかけがえのない
日常を失うのです
では原発事故による避難はどうなるのでしょうか
そもそも、原発の過酷事故から被ばくせずに避難するのは土台無理なのですが、仮に避難計画どおりに、あるいは計画以上にうまく放射能汚染から避難できたとしても、私たちは、このかけがえのない日常を失うのです。
どんなに完璧な避難計画ができたとしても、もし、柏崎刈羽原子力発電所で事故があれば、昨日までの暮らしが戻ってくることはないのです。
原発事故では、故郷を離れて避難します。そして、昨日までの暮らしの面影さえも見いだせないような日々が続くのです。
復旧と復興に力を注ごうにも、故郷が放射能汚染されてしまえば、その手段さえ奪われてしまいます。
その上、原発事故からの長引く避難生活の中では、家族さえもバラバラになっていくこともあるのです。
避難しなければならないほどの事故が起こった際に失うものについて「避難計画」には書かれていません。
穏やかで豊かな暮らしの基盤を失う、心のよりどころでもある故郷を失う。復旧・復興の手段を失う。
この犠牲を前提としているのが、原発事故、つまり、核の事故からの避難なのです。
避難計画を見ながらそんなことを考えていました。
このあと、原子力災害からの避難計画について、様々な問題点や、解決されない点について、ひとつづつ考えてみたいと思います。



