「戦争だめ」 | 子どもたちもお年よりも笑顔あふれる街へ

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「いま一番言いたいのは、戦争は絶対ダメだということ。憲法9条を変えるなんてとんでもない。平和憲法を守らなければだめだ。」

朝霞市にお住まいの佐藤繁雄さんが、しんぶん赤旗(7月12日付け)で紹介されています

なんとしても、埼玉選挙区から伊藤岳を、比例区の躍進を

その気持ちに応えたい

がんばります‼️

元特攻隊員 佐藤繁雄さん(92) 敗戦を機に共産党知る

戦争だめ 参院選勝って

2019年7月12日【社会】

 終戦の年、1945年の8月15日、米国艦船に体当たり攻撃をするために出撃した経験を持つ埼玉県朝霞市の佐藤繁雄さん(92)は、参院選にあたって日本共産党の梅村さえこ比例候補と会い、「戦争は絶対だめだ。共産党に何としても勝ってほしい」と話しています。思いを聞きました。(聞き手・吉岡淳一)

 戦中、予科練(海軍飛行予科練習生)に志願し、土浦航空隊(茨城県)に配属されました。兵隊から戦闘機が足りず日本が押されている話を聞き、「よし、俺がやってやる」と思ったからです。

ひつぎの山に血

 昭和20(1945)年8月初め、転属先の神町航空隊(現・山形空港)での米軍の空襲はひどかった。その空襲で多くの仲間を失い、山のように積まれたひつぎから血がしたたっていたのが印象に残っています。

 特攻に選ばれたときは怖さはなく、死んだ戦友のことを思い「こんちくしょー。おれがやってやる」と思っていました。両親たちが面会に来て、母親は「私たちは青酸カリで自決するから大丈夫だよ」と話しました。自分たちがアメリカから辱めを受けることを心配させたくなかったんでしょうね。

 8月15日、出撃先は千葉県の木更津でした。途中まで飛んでいると「引き返せ」と無線が入りました。日本が負けたことは後で知らされました。

 牛久村(現・茨城県牛久市)の実家に着いたんですが、自分だけが生き残っていいのかと、しばらく家に入れませんでした。意を決して入ると「わあー」と驚かれました。村の人に顔向けもできず1カ月ほど外出もできませんでした。

侵略の事実学ぶ

 その年、進学のため東京に出ると、焼け野原を目にしてびっくりしました。小さな子どもたちが、そこかしこにうずくまって飢えている。「俺は今まで何をしていたんだ。同じ時代に生まれ、なぜこのような思いをする子たちがいなければならないのか」と感情が込み上げ、この戦争の原因を知りたいと思いました。

 それなら、戦争に反対していた共産党を知ればわかるだろうと思い、勉強をしました。

 中国やアジア各国が日本に攻め込んだわけでなく、日本がわざわざ攻め込んだ侵略戦争だったことを知りました。日本人犠牲者よりはるかに多い人の命を日本軍が奪ったことも知りました。

 いま一番言いたいのは、戦争は絶対ダメだということ。憲法9条を変えるなんてとんでもない。平和憲法を守らなければだめだ。

 そのために共産党には、参院選で何としても勝ってほしい。まだ時間はあります。一人でも多く支持者を増やしてほしい。