阪神・淡路大震災から24年 | 子どもたちもお年よりも笑顔あふれる街へ

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阪神・淡路大震災からきょうで24年
 
(しんぶん赤旗1月17日付け)

きょう阪神・淡路大震災24年

借り上げ住宅退去問題 住居は人権

2019年1月17日【3面】

 6434人が犠牲になった1995年の阪神・淡路大震災から17日で24年。被災地では2010年以降、借り上げ復興公営住宅に住む被災者に、自治体が、借り上げ期限だとして退去を迫り大きな問題になってきました。現状を見てみます。(兵庫県・喜田光洋)

期限書いてない

 「裁判にかけられるとは夢にも思わなかった。私は何か法を犯しましたか」

 西宮市のUR住宅「シティハイツ西宮北口」の自室で中下節子さん(80)は、つらい思いを吐露しました。

 西宮市は16年5月、20年間の借り上げ期限が過ぎたとして、中下さんら同住宅の7世帯に対し、明け渡しを求めて提訴しました。

 中下さんは自宅が全壊し、愛犬がいたため避難所に入れず、震災後約9カ月間、夫、息子とともに車で生活しました。今の住宅に当選し、95年10月に入居。やっと落ち着きました。その後、息子は結婚し、夫は06年に亡くなりましたが、他の入居者と助け合いながら暮らしてきました。

 ところが12年に市は突然、借り上げ期限までに転居するよう通知。「何を言っているのかわかりませんでした。入居許可書にも、(住む権利を)私が継承した書類にも期限は書いていません。期限があるとわかっていたら来なかった。この年で引っ越しは無理。出た人たちはみんな不満を言っています。出て行って自殺した方もいます」

 市からの通知後、体調が悪化。軽い脳梗塞を患いました。足の感覚が突然なくなり、医者から歩くのは20分が限度と言われています。

 「生きているうちに裁判に勝ってくださいと弁護士さんにお願いしています。このまま住ませてほしい」

公正判決へ署名

 自治体が入居者に退去を求めた裁判は、西宮市が提訴した中下さんらの7件と神戸市が提訴した8件(10世帯)が争われています。

 昨年10月、大阪高裁と神戸地裁で神戸市の2件の判決があり、いずれも市の明け渡し請求を認めました。

 高裁では、借り上げ期限が記載されていた入居許可書がNさんに渡されたのは引っ越しの約10日前で、公営住宅法25条2項が規定する「入居者が決定したとき」に自治体が行う借り上げ期間などの通知を行ったことになるのかが問われました。弁護団は、25条2項の事前通知は借り上げ住宅に当選したときにしなければならないと主張しましたが、判決は引っ越しの直前でも構わないとしました。判決はまた、Nさんの歩行障害に配慮が必要としながらも、近くのバリアフリー住宅に移れる可能性があったとして、市の請求を認めました。

 地裁判決は、Yさんの入居許可書に期限が書かれておらず事前通知がないにもかかわらず、市は85歳以上の継続入居を認めるなど配慮をしているとして、市の方針を容認しました。

 Nさん、Yさんはいずれも上告、控訴しました。残りの裁判もことし、地裁で判決が続く予定です。

 弁護団は、不本意ながらも転居した人たちの生活実態を調査して裁判で示していく予定であるとともに、最高裁のNさん事件、大阪高裁のYさん事件において公正な判決を求める署名運動にとりくみます。

 一方、世論と運動が反映し、借り上げ兵庫県営住宅は転居困難な事情を判定委員会に申請すれば、継続入居がほぼ認められるようになっています。